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「少女が支配によって救われる物語」が満たしているニーズとは?

【この記事のキーワード】

「どん底の少女」を、「男性による支配」が救うという世界観

 ケータイ小説の危うさとは何か。それは、多くの作品が「王子さまがいないと絶対にヒロインが救われない物語」を描いていることに他ならない。「いくら『汚れ』ようとも、『真実の愛』を見つければ救われるという希望」の裏には、「『真実の愛』を得られなければ、『汚れた』少女は絶対に救われないという絶望」がある、という単純な話である。

 以前にも書いたが、今のケータイ小説が志向する「溺愛」は、しばしば「圧倒的な力を持つ男性が、無力な女性を完全に支配する」という構図をとる。ケータイ小説サイト最大手である「魔法のiらんど」の2017年月間1位作品ランキングを見ていくと、ヒーローは暴走族の総長(「元」含む)、俺様社長などが圧倒的に多く、ヒロインは彼らの強引すぎる愛に振り回され、それを受け入れる立場にある。

 20175月の月間1位作品だった「監禁」(著・無自由)には、その傾向が強く表れていた。この作品のヒーローは、ヒロインを愛するあまり出会い頭にヒロインを拉致監禁、ベッドに拘束してくる。200%犯罪なのだが、ヒロインはその状況下でもだんだん彼を愛するようになり、最終的には「あなたに監禁されてよかった」というモノローグでしめられる。ちなみにこうしたシチュエーションは、「歪みLOVE」や「狂愛」といったタグが設定されている程度には支持が高い。

 ついでに書いておくと、ケータイ小説サイト「野いちご」では今、「俺様&強引男子に溺愛されちゃう!!お前は俺だけ見てればいいんだよ特集」というものが行われている。ものすごくわかりやすい。わかりやすすぎる。

 監禁とかはまあ過激だけども、ケータイ小説に限らず女性向けコンテンツ全体的にはよくある話とも言えるんじゃないか……という意見もあると思う。実際ハーレクイン作品でも、「大富豪に見初められ強引に愛される」系の話は金太郎飴方式で大量生産されている。性描写を多く含む女性向けライトノベルジャンルである、ティーンズラブ小説も同様だ。

 しかし個人的には、ケータイ小説における「溺愛=支配」と、ハーレクイン小説におけるそれは区別したい。というのも、ヒーローとヒロインの権力の不均衡が、ケータイ小説においてはしばしば大きすぎるからだ。権力の差自体が大きいというよりも、ヒロイン側の力が極端に弱すぎる。どうしてそうなるかといえば、ケータイ小説のヒロインが「少女」、つまり子どもだからにほかならない。

 ハーレクイン小説のヒロインは、基本的には「大人」である。特に現代ものの場合、年齢的には20代前半〜30歳前後までが多く、結婚歴があったり、子どもがいたりすることも珍しくない。ヒーローは大抵超ハイスペック男性で、必然的にヒロインとの社会的地位の差は大きくなるが、ヒロイン単体で見たときに「無力」ということは少ない。

 一方、ケータイ小説のヒロインの多くは女子高生、女子大生だ。

 今までも言及してきたように、ケータイ小説の「溺愛もの」のヒロインには、「無力な少女」が多い。学校で忌み嫌われている、親からネグレクトされている、といった設定が頻出だ。彼女たちは、守ってくれる保護者がいないこと、安心できる居場所がないことから、しばしば極端なまでに非常に低い自己肯定感を抱えて生きている。

 さらにいえば、そこで居場所を得るため、あるいは守ってくれる存在がいなかったが故に愛の無い性行為(売春、レイプ)に接してしまった場合、ほぼ確実に彼女たちは「自分は汚れている」という意識も強く抱え込む。自分は汚れているという意識は、無力感や孤独感がさらに自罰的にはたらいたものである。

 そこに「居場所を与えてくれる庇護者」として現れるのがヒーローなわけだが、彼らの設定がまた極端だ。たとえば誰もが恐れ憧れる関東ナンバーワン暴走族の総長だとか、あるいは日本最強のヤクザの若き組長だとか。ヒロインは、そういった権力を持つ男性に愛されることによって、「暴走族の姫」や「姐御」といった存在になり、他の有象無象の女たちに対して圧倒的優位に立つ。

 なお、ケータイ小説界において、「少年」は少女ほど無力ではないため、男側の年齢はあまり「支配度」を左右しない(高校生の暴走族より成人済みのヤクザの方が格上だ、というような男性間のヒエラルキーは存在する)。

 男性が「群れのボス」的存在でないタイプの作品もある。でもその場合によく見るテンプレも、「セフレ扱いされていると思ったら、実は彼に一番愛されていたのは私だった」「ドSな彼に虐げられていると思ったら、それは実は愛だった」というものである。いずれにしろ「まったく庇護されていない(と感じる)状態→庇護されている状態」への大逆転に支持が集まりやすいことにかわりはない。

 私がいつも悩ましく思いながら見るのはこの部分だ。つまり、「少女」の大逆転の鍵を握るのは常に「圧倒的に強い男による支配」だ、という点。しかも、男に溺愛される前も後も、ヒロインの「無力さ」には変化がない。彼女たちは終始、脅威に抗う根本的な力――それは多分に社会的な力なのだが――を持たない存在のままなのだ。これは本当に救済なのかということを、私はこの手の作品を読むといつも考えてしまう。

 たしかにヒーローがヒロインを溺愛している以上、ヒロインはヒーローの泣き所であり、精神的支配者と言えなくもないだろう。しかし、ヒーローがヒロインを切り捨てることの簡単さに比べて、その逆は圧倒的に難しい、という立場の違いを見逃すことはできない。「監禁」のヒロインに、逃げるという選択肢が与えられていなかったことが象徴的である。

 なお、最近はケータイ小説ユーザーの年齢上がってきたためか、ヒロインが女子高生や女子大生ではなく成人した勤め人で、社会的立場をある程度持っている作品も増えてきた。しかしこうした「大人ラブ」と呼ばれるジャンルの小説を読んでも、私はヒロインのことを実質的には「少女」役として感じることが多い。ヒロインがヒーローに対して無力で、社会的にも精神的にも相当下手にいるという構図は、女子高生がヒロインの作品とあまり変わらないのである。

 言うまでもないことだが、権力の勾配が大きい中で展開される「溺愛=支配」は、立場の弱い方にとっては完全にアンフェアだ。子どもが、親の「愛情という名の押し付け」に逆らえないのとまったく同じである。「教育的指導」の名のもとに行われる体罰も、「親愛の情を示すためのスキンシップ」と称したセクハラも、すべてはその延長上に存在する。今社会的に大きなムーブメントとなりつつある「#MeToo」の意見表明、スピークアウトの中でもその点が常に指摘され続けていることには触れておきたい。

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小池未樹

ライター・漫画家。1987年生。大学卒業後、郷土史本編集、テレビ番組制作、金融会社勤務などを経て、2013年よりライター・編集者としての活動を開始。企画・構成に『百合のリアル』(著・牧村朝子)や『残念な政治家を選ばない技術—選挙リテラシー入門』(著・松田馨)、著書に『同居人の美少女がレズビアンだった件。』『家族が片づけられない』(井上能理子名義)などがある。最近猫が足りない。

twitter:@monokirk

サイト:http://mikipond.sub.jp

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