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「女子ども向け」カルチャーは、なぜ大人たちをいらだたせるのか。/『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』著者・嵯峨景子インタビュー

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なぜおじさんたちはケータイ小説を嫌悪したのか

嵯峨 ブームの頃のケータイ小説に対する、一部批評家や作家の嫌悪感はかなり強かったですよね。

小池 と、思います。「低俗すぎて最後まで読めない」という批判が大人の世界では多くて、作品の書き手、そして読者の知性や貞操観念への揶揄が主にネット上にあふれかえりました。『恋空』のAmazonレビューなんかひどいことになりましたし。小林秀雄と同じように、なんかとにかく腹が立つ、という気持ちだった人が多いんじゃないかなと。

嵯峨 そうでしょうね。

小池 なぜケータイ小説は人をイライラさせるのか、ということを私はよく考えていたんですけど、まだつかみきれていないんです。嵯峨さんの考えを伺ってみたいところなのですが。

嵯峨 自分たちのリテラシーでは読めないものがヒットしている、ということへの苛立ちはあったのかなと思います。出版不況が騒がれている中で、まったく得体のしれないものが100200万と部数を重ねることが我慢ならなかったんだろうと。あとはもう単純に、内容が許容できなかったのではないでしょうか。

小池 内容的に、一番許しがたいポイントだったのはどこだと思いますか?

嵯峨 表現が難しいですが……。でもやっぱり、レイプ、妊娠、不治の病っていう、あのコンボなのかなと。ここは、語るのがなかなか難しいところでもありますが。

小池 私はそこに興味があるんです。これはもうケータイ小説単独の話ではありませんけど。セックスとか妊娠とか死というものを軽く扱っているようにしか見えない描写というものがあり、それがコンテンツになっているのを見ると心がザラザラしてしまう。人間の、その仕組み自体がなんだか面白いなって思います。そうか、人はこれを無視できないのか、って。

嵯峨 そう、できないんですよね。不思議と。

小池 直視しないといけないなと思うのは、そのザラザラで苛立つ人もいるけれど、それに吸い寄せられ、救われる女の子たちもたくさんいるっていうことです。彼女たちの抱えているニーズが、権威のお墨付きのカルチャーでは満たされないのだとしたら、この社会のメインストリームには何が欠けているのか。そういうところが気になります。

嵯峨 そこは、ぜひ今後小池さんには探求していっていただきたいところです。

「非当事者」として少女小説を語る意義

小池 ちなみに、『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』の、批評や学術方面からの反響はいかがだったのでしょうか。

嵯峨 第一回でもお話したように、少女小説を実際に読んできたという方々からは、非常に熱心な反響をいただいているんです。ただ、それは少女小説界隈の「内部」からの声だとはいえますね。内部ではなく、外部としての批評やアカデミックの方面となると……多くの反響があったとは言い難いです。朝日新聞に書評が出たり、アカデミズムの中では出版研究の方が比較的言及して下さったりというのはありましたが、一般読者への広がりや反響の大きさに比べると、批評家や研究者の間で読まれているという実感はあまりないです。私の専攻は社会学なのですが、社会学のロジックは実はこの本であまり使っていないので、同じ分野の人たちから見ると余計によくわからない本なのかもしれません。

小池 嵯峨さんとしては、一般の方だけでなく、何かしら専門的な領域を持っている人たちにも読んでもらいたいという意図はあったわけですよね。

嵯峨 そうですね……。こういう、ひとつの小さなジャンルの変遷やその背景を丁寧に紐解いていく、というアプローチ自体が、そもそも関心をもたれにくいのだとも言えます。たとえば、「女性文化を総括的に、批評的に語る」といったもっと大味な切り口なら、もう少し関心はもたれたのかもしれません(笑)。

小池 それをしていないところが、嵯峨さんの本の素晴らしさなんですけどね。

嵯峨 ありがとうございます。私は少女小説の関係者ではないし、当事者ではなく外側から分析した研究書として執筆しました。でも、その立場だからこそ語れることがあるなと、この本を作っていて改めてわかりました。これはけっして批判ではないのですが、少女小説って基本的に、当事者による“主観”で語られることが多いんですよ。

小池 久美沙織さんの『コバルト風雲録』みたいに。

嵯峨 そうです。『コバルト風雲録』や、花井愛子さんの『ときめきイチゴ時代 ティーンズハートの19871997』みたいな作品は、エッセイとして大変面白く、作家側の視点を描いた資料としても価値は高いです。ただ、学術的に見たときに困るのは、資料の出典などがほとんど明記されていないことなんですよね。私はエビデンス至上主義というわけでもないのですが、ジャンル内の歴史を追うにあたってはそこが重要だろうと思いました。だからこの本に関しては、ひとつの章につき五十ずつくらいは資料を参照しています。ただ、論文ではないので出典元は最後のページにまとめて、読みやすくして。

小池 参考文献一覧、ものすごい量ですもんね。これを見るだけでも、生半可な本でないことは一発でわかります。あとはなんといっても、2010年代までをカバーしていることがすごい。2000年代末以降のジャンル動向って、ネット文化とのからみもあって複雑怪奇だから、まとめるのはものすごい重労働じゃないですか。

嵯峨 執筆期間をそれほど長くとらなかったので、大変ではありましたね。ただ第一回でもお話したように、ある時期をもって、多くの人の少女小説に対する認識は止まってしまっていて。だからこそ、「今」の少女小説まで書かないと意味がないなと思ったんです。そこをやれて、初めてこの本の価値は出るのかなと。これをやりきれたのは、私がアカデミックの手法をそれなりに身に着けてきたからですし、私が著者になった意義もあったと思っています。

小池 この内容量の本がこの値段で買える、というのはものすごいことだと思います……。もっと、「権威ある男性」タイプの人にも読んでもらいたいです。

嵯峨 (笑)。そもそもクラシックな考え方の人からすると、カバーがもう論外だと思うんです。

小池 学者たるものが、自著の表紙モデルをやってるとは何事ぞ!! みたいな。

嵯峨 そういうノリも、なきにしもあらずかもしれません(笑)。

小池 中身を見てから判断してほしいですね。もちろん冒頭だけ読んでポイはなしで(笑)。

※1 文芸評論家。1902-1983。日本の近代批評を確立したとされる。代表作に『私小説論』『ドストエフスキイの生活』など。1967年に文化勲章を受賞

※2 小説家。1896-1973。栃木高等女学校在学中から少女雑誌に短歌や小説を投稿。『少女画報』の連載「花物語」がベストセラーとなり、少女小説作家として人気を博す。少女小説だけでなく、純文学や歴史小説など幅広い執筆活動を行っていた。

■第五回:「マスであるほど語られにくい少女向けカルチャー、その先に」に続く

嵯峨景子(さが・けいこ)
1979年生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。専門は社会学、文化研究。現在明治学院大学非常勤講師、国際日本文化研究センター共同研究員。単著に『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』(彩流社、2016)、共著に『動員のメディアミックス <創作する大衆>の戦時下・戦後』(思文閣出版、2017)など。

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小池未樹

ライター・漫画家。1987年生。大学卒業後、郷土史本編集、テレビ番組制作、金融会社勤務などを経て、2013年よりライター・編集者としての活動を開始。企画・構成に『百合のリアル』(著・牧村朝子)や『残念な政治家を選ばない技術—選挙リテラシー入門』(著・松田馨)、著書に『同居人の美少女がレズビアンだった件。』『家族が片づけられない』(井上能理子名義)などがある。最近猫が足りない。

twitter:@monokirk

サイト:http://mikipond.sub.jp

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コバルト文庫で辿る少女小説変遷史