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あなたにとっての「普通の家族」を測るバロメータとなる一冊/『ゲイカップルのワークライフバランス―男性同性愛者のパートナー関係・親密性・生活』

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あなたにとっての「普通の家族」を測るバロメータとなる一冊/『ゲイカップルのワークライフバランス―男性同性愛者のパートナー関係・親密性・生活』  ▽本文  どんな研究でも、その冒頭のセクションは、先行研究を地道に整理しながら、「これから私は、こういう視点から、こういう理論に基づいて、こういう方法で研究をおこないます」と宣言するものと相場が決まっている(ちょっと言いすぎかも)。この部分は調査結果の提示でも分析考察でもないのにやたらと難解なことが多いので、読むのは正直しんどい。   今回取り上げる『ゲイカップルのワークライフバランス―男性同性愛者のパートナー関係・親密性・生活』(新曜社)の第1部も、先行研究の理論的な検討と自身の研究方法の提示となっている。親切な著者は、「現代日本のゲイカップルの生活を知りたい読者は、第2部から読み始めることをおすすめしたい」と書いてくれている。よし、第1部は飛ばして第2部を読むか。   いや、ちょっと待ってほしい。私の読みでは、本書のもっとも重要な主張は、第1部の中にすでに埋め込まれている。鍵は、〈親密性モデル〉ではなく〈親密性―生活の相互関係モデル〉に本書が拠って立つ、という点にある。親密性とは、簡単に言ってしまえば夫婦、恋人など性愛に関するパートナーシップ(の特徴)をまとめて指すための言葉である。では、二つのモデルは性愛についてそれぞれどのように考えていて、どうして後者のモデルに拠って立つべきなのだろうか?    ギデンズという社会学者が、「どうも最近(学術的には後期近代)の性愛って、性愛の外側の生活や規範を離れて、互いへの好意のみで成り立つようになってきてるよね」と主張した。この性愛のあり方をギデンズは「純粋な関係性」と呼び、性別役割分業にとらわれない同性愛者のカップルはその典型だと述べたのである。単純に言ってしまえば、〈親密性モデル〉とは、性愛が生活や規範からの離れている、とする考え方のことなのだ。   しかし著者は、同性カップルを含む「純粋な関係性」とされる性愛の形がこの「外側」の重要な影響を受けていることを既存の実証研究は示しているのだから、そこに着目しないとダメだと主張する。そして「外側」として著者が注目するのがまさにカップルの暮らし、生活そのものなので、著者は〈親密性―生活の相互関係モデル〉を採用するのである。   この方針ゆえ、同性愛者を扱った研究書には珍しく、本書にはカップル間での性交渉に関する話題が一つも出てこない。これはほぼ間違いなく著者の意図したものだろう。ゲイ男性を「性的存在」と捉える偏見に対抗するためにも、著者はカップルの暮らしから絶対に目をそらさない。こうした姿勢で著者が本書を書き切ったことそれ自体に意義がある。だから、本書の第1部はとても重要だと私は思うのだ。   このような方針に基づき、第2部では10組のゲイカップルへの聞き取りが分析されていく。読者の大半が抱く疑問は次のものだろう。で、ゲイカップルって男女のカップル(≒夫婦)と同じなの、それとも違うの?   著者はこの問いに対し、ゲイカップルが夫婦と異なる部分を丁寧に取り出していくことで誠実に答える。   確かにゲイカップルは、二人の家計が独立している点で夫婦と違う。夫が妻を「養う」ことに伴う不平等はないが、だからと言って関係性が平等になるとは限らない。なぜなら二人の収入の格差がライフスタイルのずれを生むから。   家事をするのが妻の愛情のしるし、みたいな規範はないので、ゲイカップルはお金があるなら家事をどんどん外注する。共働きで家事も外注すると、余暇活動や一緒にする家事それ自体が二人の関係を深めるイベントになる。   著者によればゲイカップルのライフスタイルの特徴は以上のようなものだ。とはいえ、私のまとめ方はずいぶんと乱暴なので、ぜひ実際に本書を手にとって、これらの特徴の細部を丁寧に読み取っていただければと思う。   ただし、一つ付け加えておきたいことがある。著者がゲイカップルの特徴として取り出す要素を持っている異性カップルもけっこうあるのでは、と思った人もいるのではないだろうか?   私の見立てではここに本書が抱える厄介な問題があると思う。著者は本書でゲイカップルの比較対象を「異性愛家族」とするのだが、この言葉の指す中身が揺れているように思えるのである。ある箇所では男女のカップル(ないし夫婦)のことを単に指しているのだが、別の箇所では、性別役割分業に基づき、男性が職場で働き女性が家事に専念する男性稼ぎ手モデルを採用するカップルのことを指しているように私には読めるのである。後者の意味ならばゲイカップルとの差異は明らかだが、もし一貫して前者の意味で「異性愛家族」という言葉を使うのであるならば、異性愛家族とゲイカップルの明確な対比はそう簡単に主張できないようにも思える。となると、本書の結論に読者がどれほど納得するかは、読者が「異性愛家族」という言葉でイメージする家族のありかたが、性別役割分業主体の近代家族とどれだけ合致しているか、という点に依存するのかもしれない。   したがって、本書をどう人々が読むか、という点こそが、私たちの社会が「普通の家族」なるものをどう捉えているかのバロメータとなるのだろう。比較対象の「異性愛家族」が多様化している(と人々が思うようになる)と、本書の「普通の家族」への対抗的意義も薄れてしまう。だが、裏を返せばそれはゲイカップルを特別視せずに済むようになったということでもある。その意味では、例えば10年後に本書がどう読まれるのか、そんなことが私にはとても気になる。「昔は異性カップルと同性カップルはこんなに違ったのか!」と過去の歴史的事実を発見して驚かれるような気が私はする。もちろん、性別の組み合わせにかかわらず、どんなカップルの関係も平等になっていてほしい、という私の願望込みの推測だけれども。の画像1

『ゲイカップルのワークライフバランス―同性愛者のパートナー関係・親密性・生活』(新曜社)

 どんな研究でも、その冒頭のセクションは、先行研究を地道に整理しながら、「これから私は、こういう視点から、こういう理論に基づいて、こういう方法で研究をおこないます」と宣言するものと相場が決まっている(ちょっと言いすぎかも)。この部分は調査結果の提示でも分析考察でもないのにやたらと難解なことが多いので、読むのは正直しんどい。

 今回取り上げる『ゲイカップルのワークライフバランス―男性同性愛者のパートナー関係・親密性・生活』(新曜社)の第1部も、先行研究の理論的な検討と自身の研究方法の提示となっている。親切な著者は、「現代日本のゲイカップルの生活を知りたい読者は、第2部から読み始めることをおすすめしたい」と書いてくれている。よし、第1部は飛ばして第2部を読むか。

 いや、ちょっと待ってほしい。私の読みでは、本書のもっとも重要な主張は、第1部の中にすでに埋め込まれている。鍵は、〈親密性モデル〉ではなく〈親密性―生活の相互関係モデル〉に本書が拠って立つ、という点にある。親密性とは、簡単に言ってしまえば夫婦、恋人など性愛に関するパートナーシップ(の特徴)をまとめて指すための言葉である。では、二つのモデルは性愛についてそれぞれどのように考えていて、どうして後者のモデルに拠って立つべきなのだろうか?

 ギデンズという社会学者が、「どうも最近(学術的には後期近代)の性愛って、性愛の外側の生活や規範を離れて、互いへの好意のみで成り立つようになってきてるよね」と主張した。この性愛のあり方をギデンズは「純粋な関係性」と呼び、性別役割分業にとらわれない同性愛者のカップルはその典型だと述べたのである。単純に言ってしまえば、〈親密性モデル〉とは、性愛が生活や規範からの離れている、とする考え方のことなのだ。

 しかし著者は、同性カップルを含む「純粋な関係性」とされる性愛の形がこの「外側」の重要な影響を受けていることを既存の実証研究は示しているのだから、そこに着目しないとダメだと主張する。そして「外側」として著者が注目するのがまさにカップルの暮らし、生活そのものなので、著者は〈親密性―生活の相互関係モデル〉を採用するのである。

 この方針ゆえ、同性愛者を扱った研究書には珍しく、本書にはカップル間での性交渉に関する話題が一つも出てこない。これはほぼ間違いなく著者の意図したものだろう。ゲイ男性を「性的存在」と捉える偏見に対抗するためにも、著者はカップルの暮らしから絶対に目をそらさない。こうした姿勢で著者が本書を書き切ったことそれ自体に意義がある。だから、本書の第1部はとても重要だと私は思うのだ。

 このような方針に基づき、第2部では10組のゲイカップルへの聞き取りが分析されていく。読者の大半が抱く疑問は次のものだろう。で、ゲイカップルって男女のカップル(≒夫婦)と同じなの、それとも違うの?

 著者はこの問いに対し、ゲイカップルが夫婦と異なる部分を丁寧に取り出していくことで誠実に答える。

 確かにゲイカップルは、二人の家計が独立している点で夫婦と違う。夫が妻を「養う」ことに伴う不平等はないが、だからと言って関係性が平等になるとは限らない。なぜなら二人の収入の格差がライフスタイルのずれを生むから。

 家事をするのが妻の愛情のしるし、みたいな規範はないので、ゲイカップルはお金があるなら家事をどんどん外注する。共働きで家事も外注すると、余暇活動や一緒にする家事それ自体が二人の関係を深めるイベントになる。

 著者によればゲイカップルのライフスタイルの特徴は以上のようなものだ。とはいえ、私のまとめ方はずいぶんと乱暴なので、ぜひ実際に本書を手にとって、これらの特徴の細部を丁寧に読み取っていただければと思う。

 ただし、一つ付け加えておきたいことがある。著者がゲイカップルの特徴として取り出す要素を持っている異性カップルもけっこうあるのでは、と思った人もいるのではないだろうか?

 私の見立てではここに本書が抱える厄介な問題があると思う。著者は本書でゲイカップルの比較対象を「異性愛家族」とするのだが、この言葉の指す中身が揺れているように思えるのである。ある箇所では男女のカップル(ないし夫婦)のことを単に指しているのだが、別の箇所では、性別役割分業に基づき、男性が職場で働き女性が家事に専念する男性稼ぎ手モデルを採用するカップルのことを指しているように私には読めるのである。後者の意味ならばゲイカップルとの差異は明らかだが、もし一貫して前者の意味で「異性愛家族」という言葉を使うのであるならば、異性愛家族とゲイカップルの明確な対比はそう簡単に主張できないようにも思える。となると、本書の結論に読者がどれほど納得するかは、読者が「異性愛家族」という言葉でイメージする家族のありかたが、性別役割分業主体の近代家族とどれだけ合致しているか、という点に依存するのかもしれない。

 したがって、本書をどう人々が読むか、という点こそが、私たちの社会が「普通の家族」なるものをどう捉えているかのバロメータとなるのだろう。比較対象の「異性愛家族」が多様化している(と人々が思うようになる)と、本書の「普通の家族」への対抗的意義も薄れてしまう。だが、裏を返せばそれはゲイカップルを特別視せずに済むようになったということでもある。その意味では、例えば10年後に本書がどう読まれるのか、そんなことが私にはとても気になる。「昔は異性カップルと同性カップルはこんなに違ったのか!」と過去の歴史的事実を発見して驚かれるような気が私はする。もちろん、性別の組み合わせにかかわらず、どんなカップルの関係も平等になっていてほしい、という私の願望込みの推測だけれども。

森山至貴

1982年神奈川県生まれ。現在、早稲田大学文学学術院専任講師。専門は社会学、クィア・スタディーズ。主著に『LGBTを読みとく―クィア・スタディーズ入門』(筑摩書房、2017)がある。(写真撮影:島崎信一)

twitter:@sankaku_queer

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