「政治家は公人なのでまだしも、タレントの場合はどこまでが許容範囲なのか。プライバシー侵害の恐れもあるだけに、弁護士や法務部と相談しながら慎重に進めています」
(新谷学・「週刊文春」編集長「出版社の徹底研究」『創』2018年2月号)
週刊文春は不倫探索をやめないと思う。なぜって、週刊文春は「週刊文春デジタル」で動画配信を始め、この動画を収入源の柱の一つにしようと画策しているから。スキャンダルの当事者への直撃取材の模様を、テレビのワイドショーなどに対し、1番組1本10万円の使用料で提供するビジネスを展開し始めている。そのために編集部内にデジタル班を設けたという。不倫ネタで部数稼ぎやがって、との声もあるが、部数など稼げていない。2016年上期に43万部だった平均実売部数は、17年上期には37万部に落ち込んでいる(日本ABC協会調べ)。
『創』2018年2月号の特集「出版社の徹底研究」に掲載されている『週刊文春』の新谷学編集長のコメントを拾うと、「確かに動画には手応えを感じますが、同時にリスクも大きい。無軌道にエスカレートしていくと、かつての写真週刊誌と同じになりかねない。政治家は公人なのでまだしも、タレントの場合はどこまでが許容範囲なのか。プライバシー侵害の恐れもあるだけに、弁護士や法務部と相談しながら慎重に進めています」とある。しかし、竹林で密会していたことを報じた「フジ・秋元優里アナ『荒野のW不倫』」の記事の翌週に、この事案を茶化したタイトル「竹林でチクリ」というタイトルのワイド特集を設け、その特集のイントロ文を「竹林でチチクリあっていた彼らは今回登場しません。あしからず」としているのを見かけると、「慎重に進めています」はひとまずウソである。
不倫なんて、外の人間は放置し、当事者間で議論すればいい。それなのに、「すごい人」が報道によって苦しんだ時に、いよいよ、だから週刊誌は、と結託するのは、都合がよろしくないかと思ってしまう。「あの人はOK、この人はダメ」「こういう境遇ならOK、この程度ならダメ」を続ける限り、文春のみならず週刊誌は誰かの不倫を雑誌媒体としての栄養補給のように続けていく。「この人はどう?」と挑発してくる。小室さんかわいそう、ではなく、不倫報道全般をどうでもいいよ、に持ち込まないと、誰かが砲撃にやられ続ける。不倫を、人のレベルや状態でジャッジすべきではない。だから、小室を引退させるなんて、との怒りには乗っかれない。それだと、同情できる事情もなく、小室みたいにすごくない人ならどこまでも叩いてもいい感じ、が残る。小室みたいにすごい人なんてほとんどいないんだから、小室だろうが、秋元アナだろうが、ベッキーだろうが、宮迫だろうが、外から、芸能人の不倫なんてどうでもいいよと、均等に捨てるべきだ。
1 2