トランスセクシュアルの人々のマネーに対する態度は、このビデオをご覧いただければお分かりいただけるかもしれません。当時欧米のTV業界などで一世を風靡した有名なトランスセクシュアルであるクリスティン・ジョーゲンセンが、マネーの業績を紹介する場面です。
デイヴィッドの両親が狼狽と不安の中、TVで見たのがまさにこの場面でした。両親はすぐにマネーのいた大学のジェンダークリニックを訪れます。次の年にはマネーは、ペニスを失った男の子の精巣を摘出する性転換手術を行い、女性ホルモンを打ち続けることで女の子として育て、それを絶対に子どもに秘密にしておくように勧めます。不安しかなかった両親はマネーの指示に従いました。デイヴィッドには、ペニスを失っていない、そのまま男の子の双子がいます。環境因の優位性を謳っていたマネーにとって、デイヴィッドらは自説を証明するための格好の材料だったのです。
マネーはその後、この子どもが順調に女の子として育っていて、「性の分化において、生物学的な要素より環境に優位性があることを証明する揺るぎない証拠」だとする論文を発表します。彼の書いた本『性の署名』は海外でも日本でもベストセラーになり、マスコミでもセンセーショナルに、あるいは医学の進歩を表すものとして大々的に喧伝されました。マネーは性科学の権威となり、トランスセクシュアルの人々の身体治療も社会のお墨付きをもらっていくことになります。
また当時は、女性解放運動が大きな盛り上がりを見せていた時代です。“「男らしさ・女らしさ」は生まれつきのもので、女が社会進出するなんてありえない”。そう言われ続けた女性活動家たちは、この症例は「男らしさ・女らしさ」あるいは性自認でさえ決して生まれによって決まるものではなく、社会的に作られていくものだという有力な証左として、マネーが意味したところも越えて繰り返し引用していきました。生まれや出自を理由とした差別が今以上に横行していた時代です。科学や社会の進歩と解放の物語のように流通したのでしょう。
しかし1980年代になって、性別同一性は生得因と環境因の両方が作用するとする性科学者の追跡調査により、この少年は女の子として扱われることに一度として満足していなかったどころか、いつも抵抗を感じていて、14歳で両親から真実を打ち明けられた日から、デイヴィッドという名で元の男性として生活をしていることが明らかになったのです。
この事実は『As Nature Made Him』(邦訳タイトル『ブレンダと呼ばれた少年』)というルポにまとめられました。これもまた社会からセンセーショナルに受け止められ、マネーの権威は失墜し、さらに性別同一性は生得的に決定されているという説が優位になりました。性別同一性を決めるのは「足の間の性器の形」ではなく「脳」にあるという考えへの移行です。さらに性同一性障害(トランスセクシュアル)の人々の治療についての言説では、この少年の話は、今度は「性の自己決定権」の必要性の例として取り上げられもしました。
そしてその約20年後の2004年5月。彼は拳銃で自分の頭を撃ち抜き、自殺しました。双子の弟の抗うつ薬の大量摂取による死亡、結婚していた奥さんとの生活の破綻、長きに渡る両親との不和の問題がありました。
彼の自殺直後、僕は日本の著名な性科学者の方にお会いしたときに彼の自殺について訊いたところ、慌てたように「君がどっちなのか分からないけど、自殺原因は彼の性転換とは限らないから」と言われたものです。もちろん自殺の原因というのは本当のところははっきりしないものです。でも、彼が材料とされた実験やその後の騒動が、彼や彼の家族に何の影響も与えなかったとは到底思えませんでしたし、「どっち」という言葉が意味するところもよく分かりませんでした。
ただ、その意味はすぐに明らかになりました。今度は保守系メディアの人々が、彼の自殺をして、当時の性教育のあり方を非難しだしたのです。その非難の動機も相手も内容も致命的にズレていて、あげくに陰謀論まで出てくるありさまでした。彼はその死でさえも利用されていく。そんな風景を僕はただ眺めているしかありませんでした。
僕は、「どっち」でもありませんでした。
性別同一性の環境因優位論の人々のこの「症例」に対する見解は、女の子への割り当てがもっと早ければ、母親の学歴がもっと高く、不安に怯えなければ、「成功」した可能性もあるというものでした。あるフェミニスト心理学者の方の見解は、マネーの理論は失敗とは言えず、もっと手術の時期が早ければ、双子でなければ違っていたかもしれない、「マネーはせっかくジェンダーという概念を採用したにもかかわらず、依然として『中途半端な生物学的決定論者』であったと言えます」というものでした。
僕は、そもそもこれがそういう話なのかどうかよく分かりませんでした。