卜沢:特定できるほどの精度はあるものなんですか?
阿部:既存の技術でできます。これが実現すれば、防犯だけでなく、かゆいところに手が届くようなサービスも展開できます。電車の中で座席の脇にかけた傘を忘れることがよくありますが、そんなときにすかさず「傘忘れてますよ」と自動音声が流れたり、車内で倒れた人がいたら、カメラが検知して自動的に次の駅に救急車を手配しておくこともできます。いまは周りの人が駅員や車掌に伝えて救急車を手配してもらいますが、それよりずっと迅速に対応できます。
卜沢:痴漢対策において防犯カメラも建設的な改善案のひとつだと思っていましたが、それだけでなく、いろいなことに応用できる可能性があるんですね。現在、痴漢の逮捕は被害者の訴えに依存していますが、証拠を残すためにも防犯カメラを増やすことは有用だとお話しされる弁護士さんがいます。
警察の対応も変わるか?
佐々:防犯カメラが最初に設置されたのは2009年、埼京線の先頭車両(大宮側)でしたが、痴漢発生率が高かったんです。
卜沢:私は埼京線で集団痴漢に2度遭いました。当時埼京線には集団痴漢がいて、掲示板で仲間を募る書き込みがあったときに鉄道警察が見回りをするぐらいでした。それが原因でもともと抱えていたPTSD(心的外傷後ストレス障害)がひどくなり、しばらくあまり外に出られなくなってしまいました。
▼参考
痴漢に遭った被害者が知る実態と、世間でイメージされる痴漢は全然違う
佐々:端っこの座席に座っていると、その脇に立っている女性の髪がかかることがありますよね。私の妻が、それを理由に突然はさみで髪の毛を切られたことがあります。駅事務室に行ったら、状況を詳しく聞かせてほしいと夫婦そろって何時間も警察に拘束され、現場検証にも付き合わされました。こちらが被害者なのに、なぜそんな大変な思いをしなければならないのか。
卜沢:私も朝、痴漢被害に遭って警察に行ったときは、少なくとも昼過ぎまでかかるので授業にほとんど出られませんでした。しかも入れ替わり立ち代わりいろんな人が出てきて同じことを何度も聞かれます。情報共有がされていない警察の対応も改善してほしいですね。痴漢事件にしても佐々さんの事件にしても、防犯カメラがあればそんなに拘束される必要はなくなりますね。
阿部:その通りです。このシステムを普及させるには、プライバシーが必ず問題になるので、「鉄道の駅や電車の中、線路上まで含めて公共空間であり、みんなの幸せや安全・安心のためには監視体制を作る必要がある」というコンセンサスが社会の中でまとまることが必要です。技術的にはやろうと思えばできますし、鉄道の新線建設よりは低額です……が、ホームドアやバリアフリーと同じで、鉄道会社が単独で投資するのは無理があります。
鉄道が本来の能力を発揮するために
阿部:防犯カメラが設置されて安全・安心が高まることで利用増効果があるとはいえ、投資額と比べたらとても割に合いません。社会的には絶対にやるべきことなので、鉄道会社も費用負担しつつ税金を投入する、すなわち鉄道利用者と社会全体の双方の負担によりぜひ実現させたいです。
卜沢:いかに多くの人が、社会全体の問題であり早急な取り組みが必要であると認識できるかが鍵ということですね。最後に、阿部さんが満員電車の対策にこれだけ力を入れている理由を教えてください。
阿部:私の根本的な思いは、鉄道は人類が発明した素晴らしい道具であるにもかかわらず、本来の能力を発揮できていない、というものです。その最たるものが、もっと輸送力を上げられるのに、十分なテクノロジーが投入されていないがために起きている満員電車です。私はこれが悔しくて仕方ありません。社会でも業界でも鉄道は“枯れた”技術で、できることはやり尽くされたとされていますが、実際は知恵や資金を投入すれば、満員電車の解消をはじめ、できることがたくさんあるのです。
卜沢:私も、「鉄道はもう変えようがない」というイメージを持っていました。それを一度捨てて、満員電車解消や痴漢の問題も含め、どうやったら改善できるのかを考えていきたいと思います。本日はありがとうございました。
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私はいま痴漢諸問題に関する勉強会を企画中で、まずはシンポジウムで、満員電車解消や鉄道、法律、性暴力や政治も含め、さまざまな観点から意見や知識を交換し勉強できる場所を作りたいと考えています。その後、勉強会を継続的に行うことで、満員電車解消を含めて建設的な提案ができるようにしたいのです。公開することで一般の人にも参加し知識をつけてもらえるアプローチにしたいと思っています。
阿部さんのお話をうかがい、「鉄道会社に対して求める社会の声が大きくなること」が、満員電車解消のための施策に思っていた以上の大きな影響を与えるのだと知りました。満員電車の歴史や鉄道会社の取り組みなど、知らなかったことやアイディアをうかがい、新しい視点を得ました。
阿部さんの案が問題なく実現できることになるのかはまだわかりません。しかし、多くの人が「その方法は難しい」と批判するだけでなく、「満員電車を解消する」そして痴漢対策も「改善する」という意識を持つこと、たとえば「防犯カメラを設置する」のように、さまざまな専門家が「どうすれば解決できるのか」「どうすれば実現可能か」を発信することで、実際に解決する方向に議論が向かってほしいと思います。それこそが鉄道に対する強い愛を持つ阿部さんをはじめ、誰もが幸せなることだと思うのです。今後も専門家に様々な観点からのお話をうかがっていきます。