彼女は、手記の中で、一貫して被害者だ。騒動において、小保方氏を執拗に攻撃し、研究内容と無関係な面でまで彼女を追い回すマスコミは多く、人格否定攻撃と言えるバッシングもあった。『NHKスペシャル』はボカ足しの訴えを受けたBPOによって「放送倫理上の問題があった」と勧告を受けている。騒動の発端は彼女が撒いた種だが、とはいえ人権侵害される謂れはなく、あれは間違いなくマスコミの暴走だった。その点で彼女が被害者であることに間違いはない。しかし「悪いことをしてないのに一方的に叩かれた」というのは違う。彼女は説明責任を負う立場だったにもかかわらず、「自分は一生懸命やった」「同業者の嫉妬」「私の不注意」「ネイチャー誌のミス」等と責任逃れをしていたのではなかったか。
一方で、激しく負けず嫌いの側面もある。論文修正のための指導教官らとの邂逅は入院中の出来事であった。それまでの日記でも心身の絶不調や、人の目を気にして家から出られない、逃亡先でも怯えて過ごすなどの記述があり、かなり疲弊している様子が伺えたのだが、それでも小保方氏はこの時期に、博士論文の修正を行うことを決めた。敵味方認定の激しさとともに『小保方晴子日記』からビシビシと伝わるのは彼女の強烈な負けず嫌いの側面である。小保方氏は入院していた病院を論文執筆のために退院し、部屋にこもりタスクを洗い出し、修正に取り掛かったという。
負けず嫌いである人間が勝ち負けにどれほどこだわるかは人によるが、小保方氏の勝ち負けへのこだわりも、群を抜いている。2016年7月の日記では、1カ月通い放題の整体院に通っている際に、担当である女性の院長との会話でペットの話をしたくだりがあるが「私が『カメを飼っている』と言ったら、『私は白ヘビ。あと無職の男を一人』と。私をぼきぼきしながら言い返され、圧倒的な敗北感を味わった」と綴られており、ここで「言い返され」「圧倒的な敗北感」という言葉をチョイスする小保方氏には、日常的なマウンティング意識が見える。カメVS白ヘビという闘いでの圧倒的な敗北か、それとも白ヘビに加えて無職の男もいることで、数で負けたということか、それとも、本には恋愛に関しての記述が皆無であるにもかかわらず、無職の男であろうと男性と同棲中である女性院長への“女同士のマウント”での敗北なのか……。ともあれ勝ち気だからこそ「STAP細胞はあります!」になれるのか。
この本にいるのは「科学者としての小保方晴子」ではなく、「ごく普通の女性としての小保方晴子」だ。編集者も版元もそう売りたいのだろうし、そもそも最初からそうだった。若くて可愛い女性研究者としての小保方晴子が「リケジョの星」ともてはやされたのであって、彼女が「おじさん」だったらそうはならなかっただろう。つまり彼女に人々が求めることは「科学者であること」ではなくて、「可愛い女性であること」なのだと思う。そして彼女自身も最初からそれを受け入れているのではないか。手記でダイエットや顔立ちやマウンティングについて書き散らしていき、論文が受け入れられないと「いじわるされているのだ」と思い込む。科学者としての自分を見せようという意図は当然ないだろう。先に記したように「女子高校生の日記か?」と思うような内容で、彼女の心の動きも子供らしさ全開なのだが、多かれ少なかれ、人間なんてそんなものかもしれない。そこが、彼女が瀬戸内寂聴を「ピュアな方!」と喜ばせる理由でもあるのだろう。普通、大人になればそんな自分を恥じるものだからだ。その点で彼女は普通ではなく、「イノセント」ということになるのかもしれない。
彼女の心は一度壊れたが再生したそうだ。確かに彼女の中にSTAP細胞は存在するのだろう。生まれ変わったであろう小保方氏は巻末にある瀬戸内寂聴との対談で「小説の書き方も教えてください」と教えを請う。瀬戸内寂聴に心酔している彼女は、本当にこの先、小冊かとして何事もなかったかのように歩いていくかもしれない。「あの小保方晴子」という肩書きを出版社が使わずに、彼女の書くものが売れるかどうかはまた別の話だが。
1 2