どうして自分は“熟女モノ”ばかり好むのだろう?
こちらでの連載「先生、“男らしさ”って本当に必要ですか?」も、そういう問題意識に根ざした取り組みのひとつになりますが、私は男性性の問題を考える中で、「性欲」にまつわる暴力性や加害性を意識するようになっていきました。
先に述べたように、性的な興奮は心身に得体の知れないエネルギーをもたらし、しばしば謎の行動力を生み出します。また、そこには身体的な快感が伴うし、ストレスや孤独感を忘れさせてくれたりもします。自慰行為ではなく相手のいる性交だったら、身体的な快感だけでなく、心身がものすごく満たされたような気になることもあります。
だから性的興奮それ自体を否定したいわけではないのですが……しかし「失恋ホスト」を通じて多くの女性たちから、一夜を共にした途端に連絡が取れなくなった男の話とか、妊娠が発覚すると中絶費用の10万円を払っただけで「責任は果たした。もう連絡はしてこないで」と逃げていった男の話とかを聞くわけです。さらに、痴漢や性暴力の被害に遭った女性たちの話とか、女性を外見で数値化し、ポイントを競うようにナンパに勤しむ男たちの話とか……そういった話を浴びるように聞く内に、すっかり「性欲」というものにネガティブなイメージを抱くようになりました。
さらに、小さい頃からかわいらしいものやポップなものを好み、自分自身もそうありたいと志向してきた私にとって、自分の中に宿る男性性はなんだかダサくて気持ちの悪いものでもありました。中1で陰毛が生えてきたときは毎日泣きながらカッターで剃っていたし、中3で初めて自慰行為をしたときは、罪悪感のあまり使用したエロ本とティッシュを遠くの公園まで捨てに行きました。
その後、とりわけ男子校に通っていた思春期や20代にかけて男らしさの規範に適応しようと己を奮い立たせていた時期もありますが……元から持っていた自己イメージは更新されることなく、お茶や失恋ホストの活動もあって、「性的興奮は悪いもの!」「自分には似合わないもの!」とばかりに、“性欲離れ”がどんどん進行していったような感覚があります。
とはいえ、「性的な興奮を味わいたい」という気持ちが完全になくなったわけではありません。これは最近友人に指摘されてハッとしたことなんですが、自分の性的嗜好を眺めてみると、これまで述べてきたような葛藤や加害意識を上手に回避するような形になっているのではないかということが判明したのです。
唐突に恥ずかしいことを告白しますが、私が性的興奮を覚えるモチーフは「ファットな体型の40〜50代女性」です。正直、そういう女性が出てくる動画をちょくちょく見ています(何を言っているんだ俺は……)。この嗜好についてマジメに考えてみると、その背景にはおそらく、「自分よりも身体が大きい年上女性であれば、性的興奮に伴う加害意識が免責されるような気分になれる」という思い(=そういう女性なら自分の性欲を受け入れてくれるだろうという幻想)が存在しているように感じます。
豊満な熟女に抱かれたいだなんて、いかにもマザコン男っぽくて認めるのがつらいばかりですが……自分の中には確実にそういう性的嗜好があるし、友人いわく、これは自分の男性性に違和感を持っている男にありがちな傾向でもあるそうです。
だから何だと言われると本当に困りますが……何が言いたいのかというと、自分自身の性欲のあり方を眺めてみるとおもしろいよ、ということです。自分ならではの特徴が見えてきたり、他者との思いがけない共通点が発見できたり……。多分そこには「スタンダード」なんてものはなく、人それぞれ違う形や背景があるのだと思います。
性教育の問題に取り組んできた村瀬幸治先生の言葉を借りれば、「性欲は本能でなく文化」です。本能だから全員の共通認識があるはずだというのは誤解で、人は同じ場所で育ったとしてもそれぞれ少しずつ違った文化を摂取しているわけで、「性欲」をひと括りになんてできません。
男の人は性的な嗜好については饒舌に語るものの、それがどのように形づくられていて、奥底にどんな欲望や願望が存在しているのか、そこまで掘り下げて語り合うことはあまりしないように感じます。「男の性欲」だって人それぞれのはず。そんな話を、男性ともお茶をしながらフランクに語り合えたら楽しそうだなって思っています。
(清田代表/桃山商事)
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