一部は「なるほどな~」と思えるもののもありましたが、「これこそが、赤ちゃんの心に寄り添った、赤ちゃん主体の育児である!」というお説がどうにも飲み込みにくい。手をかけてあげている、子どもの欲求が把握できるという、大人側の満足では? という気がします。だっておむつの中に排泄したって、速攻変えてあげれば、とりわけ機嫌悪くなったりしないと思うのですが(個人差は大きいでしょうけど)。五感が育つ! というけれど、おむつ外れの時期が少し早いことだけが、その根拠なのか? という(あ、科学的根拠を求めちゃいけないんでしたっけ)。
高齢者が語る昔のおむつ事情や、東南アジアの育児法などを紹介しながら、こんな話も登場します。
「全身全霊で赤ちゃんに注意を向けていれば、排泄のタイミングはわかる!」
「布おむつの時代だって、不思議とおんぶしているときに漏らされることなんてなかった(対して紙おむつのほうが、尿の感覚が短く、小刻みにちょろちょろ出していると言う話)!」
「おむつなし育児とまでいかずとも、布おむつは濡れたままにしておけないので、必然と常に清潔な状態が保てる」
など。ううーん、そんなに昔の赤ちゃんはお尻ピッカピカな状態に手厚くケアされていたんでしょうか。
ちなみに私が「昔の子育てあるある」として90代の祖母に聞いたことがあるのは、「子守で兄妹をおんぶさせられている男児たちが、遊びに夢中になり赤ちゃんほったらかし→おぶった背中は赤ちゃんのお漏らしでドロドロ」なんてエピソードです。子だくさんで家事労働がハンパなかった時代は、赤ちゃんが雑に育てられていたのも、納得。
そのイメージが強いからか、常に母親が赤ちゃんの排泄を察知し、お尻ピカピカ状態をキープしていることを「当たり前にできていた」と言われても……「マジで~!?」と穿った眼差ししか向けられないんですよね。経血コントロールと同じで〈できていた人もいただろうけど〉という話です。
自然じゃない排泄、とは?
おむつなし育児研究メンバーの主張する〈自然じゃない排泄〉もご紹介していきましょう。
・紙オムツは石油由来の製品であるから、さらっとしているとはいえ気持ちが悪い。実際につけたことがあるお年寄りもそう言っている!
→気持ちいいか悪いかは、慣れ親しんでいるかや、好みの問題かと。
・戦前の雑誌『主婦の友』にも「赤ちゃんにおむつをつけるのは悪い習慣」「赤ちゃんは本当はおむつを当てられるのはいやだと思っている!」と書いてある。
→昔の、さらにただの雑誌記事を根拠にされても出てくるのは乾いた笑いのみ。
・股に分厚い布を充てるなんて、気持ちよいはずがない。
→布ナプの人たちは、あったかくて気持ちいい! と言っておりますがこれはいかに。
・おむつの中で排泄することに慣れてしまっているところから、トイレでの排泄に移行させるのは親子ともに大変なエネルギーがいるので、不幸なコミュニケーションとなってしまうケースも多い。
→手間暇かけて「大変」な思いをするのは、自然派育児の好物かと思っていましたが、これはダメなんですね。
さらに「いつまでもおむつをしているのは悪いこと」「紙おむつに頼ると、赤ちゃんに手をかけなくなってしまう」という高齢者のコメントをわざわざ採用し、〈おむつは基本的に不快であり、大人が自分の都合で快適な生活を追求したいだけのよろしくないもの!〉と言いたいだけではという記述がザックザク出てきます。
「紙オムツはほったらかしにしがち」という主張を引き合いに出す実例も失笑もの。保育園への聞き取り調査でわかった、「1日の使用枚数を制限している親がいて、その家の子どもはいつも登園時に紙おむつがパンパンでかわいそう」というエピソードなのですから。いや、特殊な例を出されて、紙おむつ家庭全般の話のように言われましてもねえ~(確かに一定数存在はするでしょうけど、じゃあ布おむつユーザーは100%清潔にしているかといえば、それも違うでしょう)。
一般的な紙おむつの使い方も〈出たら変える〉ものなので、コミュニケーションやスキンシップの頻度はそんなに大差ないはず。紙おむつへの偏見に満ち溢れていることだけが、よ~くわかる本だと言えるでしょう。