連載

セクハラや強制わいせつを「ハニトラだろ」と思いたがる人たち

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武田砂鉄

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 福田淳一元財務事務次官のセクハラにしろ、TOKIO・山口達也の強制わいせつにしろ、その被害を受けた女性に対して「ハニートラップ」という言語が向かう度に仰天する。世の中、という大きな主語は使いたくないけれど、この世の中にはどうやら、そこかしこでハニートラップが行われていると信じている人たちがいるようなのである。

 それって、「AVの見過ぎで乱暴なセックスをして嫌がられる」という状態に似てはいないか。つまり、女性のことを考えるときに、AV的世界観を優先する。私は、満員電車の中で逆に誘ってくる痴女があちこちにいるとは思わないが、あちこちにいると思っている人たちがいるのだろうか。私は、悶々とする男子高校生の性欲を察知して襲いかかってくる女性家庭教師があちこちにいるとは思わないが、あちこちにいると思っている人たちがいるのだろうか。AVの中に出てくる行為をそのまま真似てしまう人がいるように、AVにおけるベタなシチュエーションを、現実のものだと信じ込んでいる人がいるのではないか。「ハニトラ」という言葉を結構な頻度で見かける度にそう思う。

 今日はぶっちゃけた話をします、と打ち出すテレビ番組では、その狙いに応えようと意気込む女性タレントなどが「知り合いの子で枕営業したって子がいる」と激白したりもする。そういう事例を頭に備蓄しているのか、セクハラ行為が発覚すると、男性を糾弾せずに、被害を受けた女性に対して、ハニートラップではないか、との疑いを投げる。「ハニートラップに違いない!」と断言するのはさすがに無理がある、とは思っているようで、「ハニートラップって割とあるって聞くし、今回もその可能性はあるんじゃないかな……」くらいの感じで、つまり、冷静を気取ったAV脳で、その可能性を示唆するのである。

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「私の見解としましては、『セクハラ6:パワハラ3:ハニトラ1』でどうですか」

(松本人志『ワイドナショー』2018年4月22日放送)

 松本人志が『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、福田淳一元財務事務次官のセクハラについて、「私の見解としましては、『セクハラ6:パワハラ3:ハニトラ1』でどうですか。このあたりで皆さん手を打たないですか」と言った。なぜ、皆で手を打つ必要があるのだろうか。「ハニトラに違いない!」では、世間はさすがについてこない。言い過ぎだろ、とバッシングを受ける。ここで、「ハニトラ1」としておくあたりが、「ハニートラップって割とあるって聞くし……」の作法である。

 「悪いのは福田。でも、女性記者がまったく悪くない、ってわけではない」「悪いのは山口。でも、女子高生が悪くないわけではない」、こういった筋違いの見解が平気で顔を出すのは、ハニトラってけっこうあるらしい、と曖昧ながら冷静に理解してしまうAV脳があるからこそ。そうはいってもちょっとくらいはその気があったんでしょ、と投げかけて、行使した側の罪を和らげようとする。「おっぱい揉んでいい?」発言があれば、真っ先に「スクープをとるためなら、ちょっとは揉まれてもよかったって思ってんじゃない?」と疑い、「自宅マンションに連れ込んで無理やりキスした」事案があれば、真っ先に「自宅へ行くってことは、ちょっとはしてもいいって思ったんじゃない?」と疑う。

 疑うこと自体が解せないが、ひとまず疑うことを理解したとしても、なぜ真っ先にそれを問うのだろうか。『バイキング』(2018427日放送)で俳優の中条きよしが、山口達也の部屋にあがりこんだ女子高生に対し、「ボクは正直言うと」と振りかぶった上で、「高校生2人行ったら、蹴飛ばしてでも逃げられるし帰ってこれるでしょ」「行かなきゃいいじゃない」(スポーツ報知)と言った。自分の知っている丁寧な言葉の中に似合う言葉が見つからないので、乱暴な言葉を使わせていただくが、バカである。

 この発言を聞き、「この手の愚鈍な見解が、『こういう意見もあるよね』と逆サイドに用意され、いつの間にか『あなたはどう思う?どっち?』に昇格するのが許せない」とツイートしてみたのだが、松本の「ハニトラ1」のような発言が、ギャグっぽく消費されることで、「1」が「3」になり、「5」になる。セクハラの「6」やパワハラの「3」よりも、ハニトラが「0」なのか「1」なのかどうかに議論が移り、「いやー、ゼロってわけないだろう」という半笑いの結論が、気付けば「4」くらいの印象で落ち着いてしまうのである。

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「テレビ朝日が記者会見で明らかにした内容を覆すに足りる反論・反証を提示していない」

(財務省発表文書・2018年4月27日)

 麻生太郎財務大臣は、福田をかばうために、「ハニトラ1」を維持するような発言を続けた。24日、「(記者の女性に)はめられたとの意見もある」と述べたのがそれだ。この発言が問題視されたことを受けて、27日、そのような見方に同調したわけではないのか、と問われると「当たり前だろ?」と例の口調で答えた。

 南北首脳会談が行われていた27日、今日ならニュースの扱いが小さくなると踏んだのか、財務省が福田のセクハラを認定した。財務省が発表した文章には、結論として「財務省としては、福田氏からテレビ朝日の女性社員に対するセクシャル・ハラスメント行為があったとの判断に至った」と記されたものの、その理由の骨子は、福田が「同社(引用者注:テレビ朝日)が記者会見で明らかにした内容を覆すに足りる反論・反証を提示していない」からである。福田がセクハラをした、ではなく、福田がセクハラをしていないという十分な反論ができなかったことを理由にしている。

 福田は未だにセクハラを否定しているが、福田が否定しきれていないからセクハラと認めます、という。財務省が認めたことを評価する向きもあるが、これでは、麻生大臣の「はめられたとの意見もある」は消せていない。或いは、松本人志に代表される「ハニトラ1」的な意見や反応は消せていない。財務省は、これ以上、調査に時間をかけすぎると「被害者保護上問題であるため」に、早めに事実認定したほうがいい、とした。あたかも女性の味方をしているかのように見せているが、発表された文章を読み込めば、「財務省としては、同社(引用者注:テレビ朝日)が記者会見で明らかにした内容を前提として事実認定を行うこととした」とあり、ちっとも主体的な判断ではない。

 つまり、「すみません、とっくに気付いてました。セクハラを認めます」と謝罪する文書ではない。「テレ朝さんが言ってますし、福田の反論も説得力がないんで、これ以上騒ぐとアレですし、これ、まぁ、セクハラですね」なのである。この感じで終わらせると、この事案は、まさしく松本が「このあたりで皆さん手ぇ打たないですか?」と投げかけた「セクハラ6:パワハラ3:ハニトラ1」で、個々の印象が落ち着きかねない。もちろん、財務省や麻生大臣は、そうやってうやむやに終わらせることを狙っている。はい、というわけで、福田はけしからんので、退職金から141万円引いて5178万円にします、という珍奇な措置が成り立つのは、「セクハラ10、あとは0」ではなく、「ハニトラ」を、「1」でも「0.1」でも残すことで、うやむやに終えようとするからである。

 うやむやにすれば、女性への偏見が残される。あれって、女性にも問題があったっしょ、が残る。福田の事案も、山口の事案も、それを残したがる人たちがいる。双方ともに、圧倒的に男性側に権力があり、女性が逆らえない場に置かれていたにもかかわらず、女性もその気だったんじゃないの、を残そうとする。なぜなのだろう。頭の中に、電車の中で誘ってくる痴女や男子高校生に襲いかかる家庭教師が色濃く存在しているからなのだろうか。「セクハラ6:パワハラ3:ハニトラ1」ではなく、「セクハラ10」と言わなければ、また同じようなことが起きてしまう。

 テレビ朝日の記者について「ハニトラ1」とした松本人志は、翌週の放送で、山口達也からセクハラ被害を受けた女子高生について「中にはこれがハニトラかというヤツがいるんですけど、アホかと」(『ワイドナショー』2018429日放送)と述べた。この差はなんなのか。はぐらかしていた財務省がようやくセクハラを認定した。ならば、「ハニトラ1」と言い放ったままでいいのだろうか。「ハニトラ」を、「1」でも「0.1」でも残す感じに慣れてはいけない。松本には、前の週に自分が言った「『ハニトラ1』でどうですか」を取り消して欲しかった。福田ないし麻生は、記者会見に臨み、「セクハラ10」と認めて謝罪するべきである。テレ朝の会見をもとにするのではなく、当事者ないし責任者がちゃんと語る。それを事実認定とすべきではないか。

武田砂鉄

ライター。1982年生まれ。東京都出身。大学卒業後、出版社勤務を経て、2014年秋よりフリー。著書に『紋切型社会──言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社、2015年、第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)、『芸能人寛容論──テレビの中のわだかまり』がある。2016年、第9回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞を受賞。「文學界」「Quick Japan」「SPA!」「VERY」「SPUR」「暮しの手帖」などで連載を持ち、インタヴュー・書籍構成なども手がける。

@takedasatetsu

http://www.t-satetsu.com/

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