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小学校の「道徳」、価値観の押し付けではなく多様な価値観に触れるための時間に

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Thinstock/Photo by DONGSEON_KIM

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 今年4月から小学校で正式教科化された「道徳」。これまでは、価値観の押し付けにつながりかねないとして教科化を見送られてきたが、いじめ問題が相次いでいることなどから国は子供の規範意識を高めるため、道徳の教科化を進めたという。

 小学校の道徳で“教えなければならない価値”は、“感謝”“礼儀”“家族愛・家庭生活の充実”“規則の尊重”“伝統文化の尊重・国や郷土を愛する態度”など22に上り、教師たちは国の検定に合格した教材を使ってこれらの価値を児童に教える、とされている。しかし価値を「教える」ことと「押し付ける」ことは、似て非なるもの。道徳の授業をどのように進めればよいか、現場の教師たちにも葛藤があるという。423日放送の『クローズアップ現代+』(NHK)では、昨年度、試験的に道徳を教科として導入した小学校に密着し、道徳の授業の在りように迫っていた。

 東京都内の公立小学校で4年生のクラスを受け持つ新任の女性教諭は、「お母さんの子供に対する気持ち・思い、無償の愛を考えさせたい」と、道徳の教材に『お母さんのせいきゅう書』を選んだ。22の価値の中のひとつである“家族愛”について考えさせる狙いだ。教材の内容は以下の通り。

『お母さんのせいきゅう書』
ある朝、たかしがお母さんに1枚の紙切れを渡しました。それは、せいきゅう書でした。たかしは、「お使い代」「お掃除代」「お留守番代」として、500円を請求したのです。お昼どき、お母さんは500円と一緒に小さな紙切れを渡しました。お母さんからの請求書でした。「病気をしたときの看病代」「洋服や靴」そして「おもちゃ代」など、いずれも0円。それを目にした、たかしの目には涙があふれました…

 教諭は児童たちに、お母さんはどんな気持ちでたかしに0円の請求書を渡したのかを考えてもらう。ほとんどの児童は「私の宝物はたかしだから、お金なんてもらわないよ」「お金はいらないから、そのかわり、たかしの成長を見せてね」など、お母さんは家事・育児をしても(それは無償の愛ゆえの行動だから)お金を欲しいとは思っていないのだという意見だったが、ある男子児童の意見は違った。

「私は0円なのよ、お母さんの気持ちになってみなさいよ。せっかく家事とかをしているのに。子どもっていいな。えらいことをするとお金をもらえるから」

 クラスはざわつく。教諭は改めて児童たちに「それでもさ、お母さんは0円の請求書を渡したわけじゃん? お金が欲しいなと思うのであれば……?」と問いかけ、別の児童が「確かに、1円、10円、100円でも書いて渡せばいい」と答えた。こうして道徳の授業は“軌道修正”し、丸く収まったかのように見えたが、教諭は授業後に、狙い通りに授業を進めようとするあまり男子児童の気持ちに思いが至らなかったと悔やむ。みんなとは異なる意見を語った男子児童の家庭は両親共働きで、仕事と家事で大変そうな母親を思いやっての発言だった。授業後、その児童は泣いてしまっていた。

 この教諭に限らず、現場の教師たちは試行錯誤をしながら、日々手探りで道徳の授業に取り組んでいる。中には「教材は理解できても、価値自体の理解が自分の中で微妙なまま、毎週1回ある。やり続けるのは不安」と語る教師の姿もあった。“教えなければならない価値”と、自分自身の持つ価値観、両者の擦り合わせに苦心している教師もいるのかもしれない。

 道徳の授業で使われる教材は、ひとつの物語でひとつの価値観を教えることになっているものがほとんどだという。しかし道徳とはいえ“ひとつの物語”を読んで抱く感想や意見はひとりひとり異なっているのが自然なのではないか。学生時代、道徳や国語の授業で、“正解”とされる感想を書くことが出来ず、前述の男子生徒のような状況に際した人は少なくないと思う。漫画やドラマでどの登場人物に感情移入するか人によって違うのと似て、答えをひとつには絞れないだろう。道徳の授業というだけで、児童たちが“狙い通り”の感想を覚えるとは言えない。そもそも児童たちの考えをひとつの価値観に落とし込んでいいのか、という疑問が残る。全員、立場が違うのに、同じ感想を抱くことは不自然ではないだろうか。

 22の価値には“国や郷土を愛する態度”というものもあり、“国”とは日本を指すわけだが、外国籍の児童は必ずしも日本が母国とは限らない。先の4年生のクラスで取り上げられた“家族愛”も実際はデリケートな価値観であり、「二分の一成人式」同様、親への感謝を強要することになってしまう懸念がある。父がいて、母がいて、という家庭ばかりではなく多様な家族がすでに存在している事実も覆ってしまいかねない。

 今回教科化されるにあたって道徳は、他の教科(国語や算数)同様、評価の対象にもなった。数値評価ではなく教師は文章で児童の成長について記入することになっており、入試では活用されないというが、道徳を“評価”されること自体、自分の心の内側を評価されているようだと負担に感じないものだろうか。

 しかし一方で、道徳の授業で児童たちをひとつの価値観に導くのではなく、むしろ多様な価値観に触れられるよう、授業のやり方を工夫している小学校もあるようだ。タブレット端末を使って少数意見にも触れられるようにしたり、児童たちが決めたテーマで班ごとに話し合ったりといった取り組みも、番組では紹介された。ひとりひとり価値観は違い、仲がよくても全く同じ価値観の人などおらず、ひとつの価値観に導くよりは色んな意見を聞く機会にしたほうが良いのではないか、と私も思う。道徳の時間が、児童たちがさまざまな価値観と出会うきっかけとなり得る授業を望みたい。

中崎亜衣

1987年生まれの未婚シングルマザー。お金はないけどしがらみもないのをいいことに、自由にゆる~く娘と暮らしている。90年代りぼん、邦画、小説、古着、カフェが好き。

@pinkmooncandy

バナナ&ストロベリー

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