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山口達也の事件に「#Metoo」はなかった?「#MeToo は政治利用」という議論の無効化

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Thinstock/Photo by nito100

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 今月3日、『文春オンライン』に掲載された「なぜ#MeToo運動はジャニーズ事務所やTOKIO山口達也には文句を言わないのか?」で作家・個人投資家の山本一郎氏が、タイトルにある通り、425日に発覚した元TOKIOの山口達也が女子高生に対する強制わいせつ容疑で書類送検された件について、なぜ「#Metoo 運動」は声をあげないのか、という主張を行っていた。

 山本氏によれば、本件について「#MeToo 界隈」は、「お通夜のように静か」で、ネットには「『イケメン無罪』とか『憔悴している山口さん可哀想』」といった声が溢れているらしい。そして、元文部科学省事務次官の前川喜平氏が「出会い系バーで視察・見学」に出入りしていたことはお咎めがない一方で、「同じく」女性記者にセクハラを行っていた元財務相事務次官の福田淳一氏への批判があることを例に、「党派性が強すぎる」と主張している。要約すれば、批判の対象を選別している#MeTooは党派性に基づく政治利用でしかない、ということなのだろう。

 この主張には違和感がある。

 まず前川氏は、福田氏と「同じく」セクハラで問題になったわけではない。前川氏が通っていたとされる出会い系バーは管理売春を行っていない限り、法的には問題にならない。売春禁止法では、売春のための場所を提供するといった「管理売春」は違法行為とされているが、個人間での売買春を罰する規定は存在しないのだ。そもそも「出会い系バー」の利用者は必ずしも売買春を目的としているわけでもない(「前川前文科次官「出会い系バーで貧困調査」報道に必要なのは、事実の検証であり人格評価ではない」)。これは今年4月に、出会い系サイトを利用し、女子大生を買春していたことが問題になり、辞表を提出した元新潟県知事である米山隆一氏の件も同様だ。

 もちろん出会い系バーで福田氏と「同じく」セクシュアルハラスメントが行われていたとすればそれは問題だろう。しかし当時、そういった報道は見られなかった。

 「#MeToo」というハッシュタグこそついていないにせよ、山口を批判する声は報道当初から各所で見られたものだ。肝心なのは性暴力を批判することにあるのであって、「#MeToo」というハッシュタグを使うことにはない。

 そもそも山本氏のいう「#MeToo 界隈」はどの「界隈」を指しているのだろうか。こうした書きぶりこそ、山本氏が「党派性」というフィルターを通して見ていた「#MeToo 界隈」が「お通夜のように静か」だったことの現れなのではないか。

 山本氏は「日本社会から男尊女卑的な風土を取り除き、女性にとって働きやすい環境づくりに貢献したいと考えるのであれば、なおのこと相手の組織ややらかした本人とは無関係にセクハラ事案には立ち向かうべき」とも書いている。この点については、「働きやすい環境」だけが問題なのか? という疑問はあるものの、概ね異存はない。しかし最後に、「財務次官の福田淳一さんが本当に問題だとするならば、財務省は解体するべし、財務大臣の麻生太郎さんも辞任しろと主張するのは構わないと思うんですよ。でもなぜ、山口達也氏が出てきたとき、ジャニーズ事務所は説明責任を果たせ、ジャニー社長も管理不行き届きだから釈明のひとつもしろ、という話にならないのか、不思議で不思議でなりません」と疑問を呈する形で、「党派性」の問題に収束させてしまっている。結局、関心があるのは「党派性」なのだろう。

 もちろん「党派性」がまったく見られないというわけではない。野党が、与党を批判するための「政治利用」を一切していない、と主張するのも無理筋だろう。だが「党派性」があろうがなかろうが、思想に違いがあろうがなかろうが、「性暴力は問題である」ということは多くの人にとって共通認識であるはずだ。そもそも「政治利用」されたくないのであれば、セクハラなどの性暴力を行わなければいい話だ。性暴力はしてはいけない。それ以上でも以外でもない。「政治利用するな」という「政治利用」こそ、すべきではない。

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