登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さん(35)が、ヒマラヤ山脈のエベレスト登山中に亡くなった。栗城さんは4月17日に日本を出発後、4月27日にネパール側のベースキャンプに到着、5月5日から登りはじめ5月20日に7400メートル付近まで到達したが、体調不良のため下山することを仲間に無線で伝えていた。登山の模様は5月21日にabemaTVで生中継の予定だったが、同日朝、別動の撮影隊が栗城さんの遺体を発見したという。
栗城史多さんは登山の様子をインターネットで中継するスタイルが広く受け入れられ、敢えてエベレストの難関ルートを選択し“単独無酸素”登頂にこだわる姿勢を勇気ある挑戦として応援を集める一方で、彼のやり方を無謀かつ危険な行為だと忠告する登山家も多かった。しかし栗城さんは積極的なテレビ出演や全国を回る講演活動などを通じてスポンサーを集め、資金の援助を受けて何度もエベレストに登ろうとした。
2011年から支援を続けてきた江崎グリコは、栗城さんの活動を紹介する特設サイトも運営しており、訃報を受けて「チャレンジの途中でこのような結果となってしまったことが、とても悲しく残念でなりません。謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りいたします」とのコメントを掲載している。
訃報を伝えた栗城史多さんのFacebook投稿には、4000件を超すコメントが寄せられている。その多くが「勇気をもらった」「ありがとう」と感謝し、冥福を祈るものだ。親交のあった乙武洋匡さんはTwitterで「悲しい。ただただ悲しい。栗城さん、もっとたくさんお話したかったよ…。」と死を悼み、ウーマンラッシュアワー村本大輔は「栗城さん最高だった。おつかれ。おれも挑戦し続ける。」と投稿した。
成功を目指して挑戦し続けること、それを応援すること。どちらも悪くはない。ポジティブシンキングで夢を諦めず、無謀だと制止されても立ち向かって行く行動は勇気あるものに見えるだろう。しかし立ち止まり、検討することもまた、生きていくうえでは必要なプロセスだ。
頑張る誰かを無邪気に「応援」し、「感動をもらう」ことは心地よいが、他者の努力や苦労を一方的に快楽として享受し消費する“感動ポルノ”の要素を孕むことを忘れてはいけない。また、「がんばれ」という言葉は人を無謀な挑戦に追い立てる作用も持つ。当事者が限界を感じていても、気力だけで立ち向かわざるを得ないような状況に追い込まれかねない。そこに何の悪気もなく、100%善意であってもだ。亡くなった栗城さんを貶めるつもりはない。しかし、彼がファンに勇気と感動を与えた挑戦者であるとしても、同時に、少なくともその登山計画がどのようなものであったかは検証されてしかるべきだろう。そこには耳を傾けるべき教訓が含まれているはずだ。
(清水美早紀)