劇場へ足を運んだ観客と演じ手だけが共有することができる、その場限りのエンタテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ドラマや映画などの映像作品では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。
創作の題材として取り上げられるモチーフとして一番多いのは、やはり恋でしょう。命の危険にさらされても消えない愛情を知ることができるのは、とても幸せなこと。たとえそれが、どれほど刹那的な生き方だったとしても――。
時代や国を問わずどこにもある物語ですが、それは日本の伝統芸能である歌舞伎も同様です。忠義や義理に命を捧げ、人生訓を謳う高尚な芸術である一方で、歌舞伎に登場する役柄たちは相当、恋愛至上に生きています。大抵はそこにお家騒動などが絡んで物語が複雑化(かつ群像劇化も)するため、実際に上演されるのは長い物語の特定の場面だけ、というケースが大半です。
現在東京・渋谷で上演中のコクーン歌舞伎「切られの与三」は、落語や講談にもなっている瀬川如皐作「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」を全幕通した作品。若手の女方としてはトップクラスの美しさと実力の持ち主である中村七之助が久しぶりの立ち役(=男役)として、全身に34箇所の、そして心にも傷を抱えた与三郎を主演しています。
コクーン歌舞伎は1994年、七之助の父親である故・中村勘三郎が始めたシリーズで、当時の若手を中心に、若い観客層にも歌舞伎に親しみ楽しんでもらうことを目的に誕生しました。過去に上演されたものを再現していく歌舞伎には本来演出家が存在しないのですが、演目をドラマとして楽しめるよう人物を深く掘り下げていくのがコクーン歌舞伎の特徴のひとつ。「切られの与三」では勘三郎とともにコクーン歌舞伎立ち上げに尽力した串田和美が演出しています。
運命に翻弄される美男子
「切られの与三」の主人公、与三郎は美男で親孝行との評判の高い、江戸の伊豆屋の若旦那。しかしイケメンぶりが災いしてトラブルに巻き込まれ、勘当された先の木更津で、地元の親分・赤間源左衛門の身請けされていた元深川芸者のお富(中村梅枝)と出会い、恋に落ちます。
源左衛門が不在になる夜に初めて結ばれるものの、お富に横恋慕する者の罠で源左衛門に見つかり、お富は海へ身投げ。与三郎は間男として制裁を受け、源左衛門らに美しい顔と体を切り刻まれます。かろうじて生き延びた彼は、ごろつきの安五郎(笹野高史)に拾われ、お富は江戸の商人・和泉屋多左衛門に助けられて囲われ、3年後に2人は再会します。
「与話情浮名横櫛」は通し狂言(=作品を全部通して上演すること)が難しく、2人が出会う「見染め」と、再会の場面「源氏店(げんやだな)」を抜き出しての上演が大半です。ちなみに「♪死んだはずだよお富さん」という春日八郎の歌は、この「源氏店」が基になっています。
七之助は女方で、立ち役を演じることは近年ほとんどありません。女方での突出した美貌は、性別をはるかに超越した色っぽさを振りまいているのですが、与三郎役では江戸への望郷の念に落ち込む情けないはずの様子を、母性をかきたてるいじらしさに変換。その姿や、お富とすれ違いざまに恋に落ちた瞬間の茫然とした表情は純粋な青年にしか見えなかったのに、彼女と結ばれる寝間で一瞬だけ見せた流し目は、女性を模した女方のものではない、七之助の「男」としてのセクシーさそのものでした。
源左衛門らに暴行され、そのつらさに与三郎は死にたい殺してくれと連呼しながらも、お富の残した上着を抱きしめ彼女の名前を呼びつづけます。もちろんそれもお富への愛情を感じさせるのですが、彼女と枕を交わすために衝立の陰に入る一瞬に垣間見せた色気のほうが、与三郎の情熱を印象づけていました。
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