自民党の萩生田光一幹事長代行が「赤ちゃんはママがいいに決まっている」と発言したことが話題になっています。発言の一部分だけ取り上げて騒ぐのは良くないので、朝日新聞に掲載された発言の要旨を追ってみましょう。
①東京では0歳の赤ちゃんの保育園が足りないことが問題となっている。しかし、赤ちゃんが生後3-4カ月で赤の他人に預けられるのは幸せなことではなく、0歳から保育園に行かなくても、1・2歳からでも保育園に入れる仕組みが必要だ
②仕事や家計の心配なく1年休める環境と、育児休暇後に不当な扱いを受けない環境整備が重要
③赤ちゃんにパパとママどちらが好きか聞いたら、統計はないが、ママに決まっている。だから、0歳からパパも育児だというのは子供にとって迷惑な話かもしれない
要旨を見ると分かるように、部分部分で重要な点がカバーされています。育児休暇後に不当な扱いを受けないような労働環境の整備が必要という点や、途中からでも子供が保育園に入れる仕組みづくりという点は、おそらくほとんどの人が同意するのではないでしょうか。
しかし見過ごしてはならない点もいくつか含まれています。第一は「0歳からパパも育児というのは子供にとって迷惑な話かもしれない」という点。第二は「赤ちゃんが生後3-4カ月で赤の他人に預けられるのは幸せなことではない」という点です。これらは、上で述べた重要な施策の根拠となると共に、0歳の赤ちゃんの待機児童問題の根拠としても言及されています。
しかし、この二つの点は本当なのでしょうか? さすがに0歳の赤ちゃんに「あなたは他人に預けられたり、パパに育てられたりするのは不幸ですか?」とインタビューするわけにはいきません。そこで今回は、赤ちゃんが0歳から預けられた場合や、0歳からパパが育児した場合の、子供の教育成果への影響を見ていきたいと思います。これらが子供の教育成果に負の影響を及ぼすのであれば、子供にとって不幸ということが出来るのかもしれません。しかし、そうでなければ様々な施策を考慮する上での根拠とするハードルは高くなるでしょう。
パパの育児は子供にとって迷惑なのか?
パパの育児は子供にとって迷惑なのかを検証するのは技術的に難しい所があります。分析が難しい理由を説明するとなると、かなり技術的な話になるので省略しますが、こうした難しさを乗り越えた研究がノルウェーにあります。
ノルウェーは1992年と1993年に相次いで育児休暇の改革が行われています。ノルウェーでは、49週ある有給の育児休暇の週数を、父親と母親でシェアするシステムがとられていました。しかし、ほとんどの家庭で父親は1週も育児休暇を取ることがなく、49週全てを母親が使うという状況でした。
そこでノルウェー政府は1993年に、こうした現況を変えるため、有給で取得できる育児休暇の長さを延長すると共に、育児休暇のうち4週間は父親が取らなければ、父親と母親が合計で取得できる育児休暇の週数から4週間を差し引くという改革を行いました。この結果、改革直前(1993年3月生まれの子供)に、わずか2.6%だった父親の育児休暇の取得率が、改革直後(1993年4月生まれの子供)には24.6%に跳ね上がったのです。
すなわち、ここで「0歳からパパも育児」という状況が増えたわけです。ではパパに育てられることは子供にとって迷惑だったのでしょうか? この改革によって父親が育児参加するようになったことが子供の教育成果に与えた効果を分析したのが冒頭で言及した研究です。
それによると、特に母親よりも父親の学歴が高い家庭を中心に、中学校の最後に実施されるテストの結果が向上していました。つまり「0歳からパパも育児」が子どもにとって迷惑なのかどうかは分かりませんが、少なくとも子供の教育成果に関して言えばマイナスの影響はなく、むしろ環境によっては子供の教育成果が向上するということです。
赤ちゃんが他人に預けられるのは不幸なことなのか?
続いて赤ちゃんが他人に預けられるのは不幸なことなのかどうかに関する研究を紹介します。
ノルウェーのケース: ノルウェーでは1977年に育児休暇の改革が行われました。改革前は、12週間の無給の育児休暇が認められているだけでしたが、改革後には4カ月の有給と12カ月の無給の育児休暇が認められました(2013年に有給の育児休暇が49週間に延長されています)。この結果、母親が子供と過ごす時間が延びた訳ですが、これが子供の高校退学率の減少と大学進学率の上昇につながり、子供が30歳になった時の賃金の上昇にもつながっています。しかし、1970年代のノルウェーでは良質な保育を利用できる可能性が限定されていた点は注意が必要です。つまり母親の育児の代替となりえるものが存在していなかったために、現在よりも母親の育児の重要性が高かったのです。
ドイツのケース: ドイツでは1979年に有給の育児休暇が2カ月から6カ月に、1986年にはそれが10カ月に、そして1992年には無給の育児休暇を18カ月から36カ月に伸ばす育児休暇の改革が行われました。これらの改革もノルウェーのケースと同様に母親が子供と過ごす時間を伸ばしたのですが、前二者の改革は子供の教育成果に影響を及ぼさず、最後の改革に至っては子供の教育成果に負の影響を及ぼしました。これは、無給の育児休暇の拡大によって家計の所得が減少したり(つまり教育投資に使えるお金が減少した)、そもそも1歳半以降は赤の他人との接触が必要なのに、母親が育児を丸抱えしてしまったりしたことなどが要因として挙げられています。
ドイツと同様の結果は、1984年に育児休暇が14週から20週に延長されたデンマークでの研究や、1988年に育児休暇が12カ月から15カ月に延長されたスウェーデンでの研究で確認されています。なおスウェーデンでの研究は、全体で見ると育児休暇の延長は子供の教育成果に効果がないのですが、高学歴の母親に限れば効果が見られました。日本でも教育水準の低い母親の子供ほど保育園の効果が高いことを示した研究がありますが、教育水準が高い母親に限れば育児の期間が延びるのは子供の教育成果にとって良い効果があるのかもしれません。裏を返すと、困難な状況にある母親に育児の負担まで完全に押し付けることは、子供の教育成果という観点から見ると、恐らく子供にとって幸福であるとは言い切れない状況を生み出す可能性が高いということです。
以上から、母親の育児の代替足り得るものが無い状況では赤ちゃんが他人に預けられるのは不幸なことである可能性が高いようですが、良質な保育が利用可能な状況では、育児休暇の期間が延びて、子供が預けられる期間が短くなったとしても、特に子供の教育成果に良い影響があるわけではなく、赤ちゃんが他人に預けられることは不幸なこととは断言しづらそうです。赤ちゃんが他人に預けられるのは不幸なことなのか、子供の教育成果という観点から見ると、なかなか難しい問いであることが分かります。
まとめ
赤ちゃんの保育園問題は難しいところがあります。
0歳児保育は保育士一人当たりで見ることの出来る児童数が極めて限定されるので、保育士の給与を安く買いたたかない限り、多大なコストがかかってしまいます。家庭の所得水準やひとり親家庭に対する配慮は当然必要ですが、保育費用を負担する能力がある家庭には子供を預けている間の保護者片方の給与が、保育費用とトントンになるぐらいの私費負担をお願いできるのであれば、良質な保育を持続的に実施することができるでしょう。
しかし、0歳児保育を公的資金メインで実施しようとすると、私費負担で実施する0歳児保育よりもより需要が喚起されますし、日本の財政状況的に難しいところがあります(恐らく、私費負担をメインにしつつ、厚めの税控除を実施するといった辺りが落としどころになってくるでしょう) 。
この問題が難しい理由は、財政的な問題によるものであって、教育的観点から考えれば萩生田議員がいうような「赤ちゃんが他人に預けられることが不幸である」とか「パパの育児は子供に迷惑だ」というものには拠らないと考えられます。特に前者の場合、赤ちゃんが他人に預けられて不幸になるのだとしたら、保育や育児を巡る社会環境がそのようになっているからである可能性もあり、政治家がこうした発言をすることは、政治家である自分達のこれまでの過失を認めているようなものになります。
最近の日本のニュースを海の向こうから聞いていると、重要な労働法案の根拠となる調査に問題があったり、タバコ問題について政治家個人の家庭経験に基づく思い込みで意見が為されたり、重要な社会問題に対する解決策が根拠なしに決められている印象を持ちます。特に、ジェンダーや教育分野でこのような根拠のない提案が多くなされている印象を受けますが、今回の萩生田議員の発言はまさにその象徴で「母親こそが子育てをすべき」というステレオタイプに基づいたものだと言えるでしょう。
政治家は国民の鏡だとは言ったものですが、根拠のない提案をする政治の被害を受けるのは国民です。誰を政治の舞台に送るのか選ぶ際に、誰がきちんと根拠に基づいた提案をして自分たちの生活を改善してくれるのかを考えるためにも、こうした発言はきちんと記憶しておくと良いかもしれません。