当初は怯えつつも帰国のために男に寄生しようとしていたユキは、マッコリ作りを覚えて、自身の力で稼ぐ喜びに目覚めます。千佳の夫の李志英も無事に帰宅。祖国が独立したからと、在日朝鮮人も日本人の妻を連れ密入国で帰国するようになりました。広島から来た笹本多満子もそんな妻のひとり。しかし、日本では朝鮮人として差別されたうえ、帰国しても「パンチョッパリ」(在日朝鮮人への蔑称)として罵倒されることに憤った夫が、朝鮮戦争への参加を宣言します。
帰国早々に夫に取り残される多満子の、なぜ同じ民族なのに争うのかという疑問は、異民族である日本人だからこそ、より純粋なものに思えました。ユキと千佳が彼女にかけた言葉は「ここで生きていくコツは『なんで』と考えずに、『こんちょくしょう!』と思うこと」「朝鮮の女はたたきつけるように泣くの。日本の女の耐え忍ぶ涙じゃないの」。彼女たちが叫ぶ「アイゴー」という韓国語の泣き声は、異郷で生きる身への諦念と覚悟以外の何ものでもありませんでした。
李家の屋敷はやがて教会になり、日本人妻たちが共同生活をする場所になりました。時は過ぎ1965年。国交が正常化した日本から、在韓邦人への永住帰国支援を告げられます。そのために必要な戸籍を閲覧して知ったのは、国だけでなく家族からも見捨てられていた悲しい現実ーー。
現代にもつながる物語
この共同生活の拠点はモチーフとなった施設が実際に存在し、現在は、行き場のなかった日本人女性のための老人ホームになっています。朝鮮人への差別が歴然と存在した時代、劇中の日本人妻は、良家の子女で留学生の李志英と結ばれた千佳以外の出会いは、福岡・筑豊炭田や広島・呉の軍事施設など、労働環境の厳しさから日本人が敬遠するような場所。そういった場所で縁を得たであろう日本人妻たち自身も、おそらくは恵まれているとはいえない環境で育ち、帰国のための身元引受人を探すのがむずかしかったのかもしれません。
歴史の陰で泣くのはいつも、そんな力のない女性であるという悲しい物語ではありますが、決してつらいだけの話ではありませんでした。朝鮮戦争のときは泣くだけだった多満子は、自身の帰国はあきらめられても原爆症を発症した夫のためには日本政府に抗議する強さを身に着け、ユキは愛し愛される相手を得ました。唯一帰国を果たした千佳の、何も語らない路上での末路は生々しくも哀しい現実ですが、朝鮮の地においての彼女は、日本人の誇りを抱いた「立派な」朝鮮人であり、そして夫への愛を全うしたものだと思うのです。
生きる場所、そして国籍がどこであれ、自分自身であることを貫くーー力に訴えることはできなくても、そのしなやかさと忍耐強さこそが、本当の強さであると、表にでることの少ない歴史の片隅から、学ぶことができるのではないでしょうか。
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