エンタメ

デヴィ夫人はいつから、なぜ日本のバラエティタレントになったのか?

【この記事のキーワード】
デヴィ夫人 オフィシャルブログより

デヴィ夫人 オフィシャルブログより

 7月3日放送の『アノ人が解禁告白! 私、地獄を見ました ~どん底からの逆転生還ストーリー~』(フジテレビ系)に、タレントのデヴィ夫人(78)が出演している。同番組では“年間6000万円の大赤字を抱える老舗割烹に嫁いだ美人女将”や“44歳で8億円の借金を抱えた一流庭師”など、波乱万丈の人生を送った人々の体験がVTRで再現される。しかしもっとも波乱万丈な人生を送っているのはパネラーのデヴィ夫人その人ではないだろうか。

 根本七保子(ねもと・なおこ)という名で、1940年2月、東京都港区にて生まれた彼女。今は通称・デヴィ夫人、本名・インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)。広く知られている通り、彼女はインドネシアの初代大統領“スカルノ大統領”の第3夫人だ。

 つい先日放送された『激レアさんを連れてきた』(テレビ朝日系)では、デヴィ夫人が赤坂の高級クラブで働いていた1955年、友達と待ち合わせしていた街中で、ある軍人から請われてスカルノ大統領のもとを訪れたと、出会いの経緯を説明。スカルノ大統領は筆マメで、文通により交流を深めてから嫁いだと明かしていた。昨年放送された『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京系)によると、映画を見るために友人と待ち合わせをしていたところ、偶然通りかかったスカルノ大統領に声をかけられたのだとの話だった。微妙に食い違うが、そこはさておき。

 第三夫人としてインドネシア大統領に嫁いだ彼女は、一人娘を授かる。スカルノ大統領には他にも「夫人」がおり、女同士の嫉妬による諍いもあったと、デヴィ夫人は自著に記している。そして1965年9月30日に、歴史的な事件が起こった。「9・30事件」と呼ばれる軍事クーデターだ。このクーデターではスハルト将軍率いる陸軍右派が、“赤狩り”と称した大量虐殺を実行。スカルノ大統領は失脚し、デヴィ夫人も亡命を余儀なくされた。

 「9・30事件」は映画化もされており、日本では『アクト・オブ・キリング』というタイトルで2014年に公開された。同映画の試写会で、デヴィ夫人はジョシュア・オッペンハイマー監督と対談。クーデター当時を振り返りながら、彼女は「川の中に何分隠れられるか、走って庭をどれくらいで突っ切れるかを考えながら毎晩ズボンを履いて寝ていた」「護衛官もいつ裏切るかわからないし、味方なのかスパイなのかも分からない」「人間って何も食べないで眠らなくてもこれだけ生きられるんだって知った」と壮絶な体験を語っている。

1 2

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。

言い過ぎて、ごめんあそばせ