エンタメ

興業順調でも明らかな駄作、青春の輝きをまったく描けていない『ホットロード』

【この記事のキーワード】

青春は「きらきらした風景」では伝わらない

 マンガから伝わる感動は、マンガという表現方法だからこそ可能なものであり、コマ割に忠実にそのまま映像化したところで面白い映画になるわけじゃないことくらい、考えるまでもなくわかることだ。映画には映画にしかできない表現がもっとあると思うのだが、この作品がそこにチャレンジした気配はない(極端に言うと、もしもこの映画を、舞台の時代設定を現在にし、地方都市のヤンキーとギャルの恋愛物語にしたとしても、それを『ホットロード』と呼ばせ原作ファンを納得させる作品に昇華させることはできたはずだ)。

 ヤンキーたちの青春に興味はなくても、彼女たちが必死で生きているひりひりするような焦燥感や刹那な想いを受け止められれば、その姿に心打たれるんだろうけど、この映画は肝心なその部分の描写が希薄で、起こっている若者たちのあれこれが、心底どうでもいい。

 だから、主演の能年ちゃんは、ファーストシーンから可愛いが、ラストシーンでもただ同じように可愛いだけで、映画の二時間になんの意味もなく、ただ彼女のPVを見させられたのと変わらない(これは彼女の問題ではなく、せっかくこれだけ注目されている時期にこんな仕事を選んだ周りの大人に責任があると思うが)。相手役の登坂君は、今回初めて見たが、途中から「ダルビッシュに似てるな……」くらいにしか興味が持てないほど、誰でもいい。役者が彼であることの必然性はゼロだった。

 この三木孝浩という監督は、とにかく画面がきらきらしていれば、きらきらした世界を描けると思ってるらしく(それは『僕等がいた』など過去の監督作からも窺える)、やたらと光が反射する海や街並の風景ショットが登場する。【「青春」=きらきらした光】という、単純にもほどがある発想をそのまま映し出されたところで、そこに映るのは「きらきらした風景」なだけであって、「青春」でもなんでもないのに(で、次回監督作はまたもきらきら系少女マンガ原作の『アオハライド』……)。

 さらにタチが悪いことに、今作のHPを見る限り、原作者の紡木たく自身がこの映画を絶賛しているのだ。作者が20代前半に描いた作品が数十年後に映画化されたとき、彼女自身が当時もっとも嫌悪していたはずの「ものわかりのいい大人」になってしまっている、という事実。映画の内容以上に、そのことが、時間の流れの残酷さを伝えるという結末に落胆した。

 実はこの映画のダメさは、映画が始まって数秒で発覚するのだ。なぜなら、映画タイトルのクレジットが『HOT ROAD』だからだ。これもまた、横文字にすればなんとなくかっこいい、というバカ丸出しの短絡的発想からそうされたとしか思えず、一体どんなプレゼンでスタッフや関係者全員にこれを納得させたのか理解に苦しむ。『ホットロード』というマンガのタイトルとその中身が持つ痛々しいダサさを少しも理解できてないことの現れだ。エンドクレジットでは、わかりやすいイメージを盛り上げるためだけにとってつけた尾崎豊の歌声が流れる。ひたすら寒々しい。

 ここ数年、あきれるほど量産されているマンガ原作の映画。ただつまらないだけならまだしも、原作ファンも映画好きも、どちらもがっかりさせたわかりやすい作品だった。初週の観客動員はまずまずで興行成績も大コケにはならなそうな『ホットロード』だが、こんな作品ばかりを世に出す日本の映画産業は大丈夫か。

1 2

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。