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浮気者は正直か。「不貞な女」として新聞に載った母親を、娘が受け入れるまでの5年間

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 退屈や安定した日々に耐えられなかったダイアン、刺激的な恋とセックスを求めて夫以外の男性に惹かれていく。そんな妻に対し、夫である父マイケルは、「家族と俺を捨てないなら、愛人を作ってもいい」と言っていた、捨てられたくなかったんだ、と苦々しくカメラの前で告白する。誰が、誰を責められるのか。

 サラは35歳の女性。大人の女性であるとはいっても、自分の母親が浮気者で、しかも実は自分が愛人の子供だったという真実と向き合うという行為が、そう簡単なわけがない。ドキュメンタリー完成までに5年かかったというが、その年月は現実的な撮影にかかる日数以上に、彼女自身に必要だった時間でもあるのだろう。その思いを想像するだけでも、この監督がいかに映画に対して真摯であるかがわかる。彼女にとって映画とは、自分の人生、つまりはサラ・ポーリーそのものなのだ。そのことに気付いたとき、それだけで十分胸が熱くなるのだが、この作品のさらに優れているところは、監督自身が母親と向き合った結果、育ての父マイケルとの父と娘の映画として、幸福な愛情に溢れた作品になっているということだ。

 娘にとってもそうだが、夫にとっても、妻が不倫していた、その相手との子を自分の子だと騙して育てさせていた、という事実は相当にショッキングだろう。そのことをカメラの前で吐露させる監督のサラは、どれだけサディストなんだ(実際劇中でも言われている)と呆れてしまいそうになるが、映画が進み、物語り続ける人々の話、DNA鑑定で確定してしまった親子関係、生物学上の父の言葉(彼は、この映画に少なからず反対している)を通して、彼女は、この作品全体で、父マイケルへの思いを示しているように感じられるのだ。そしてその父が自宅でタバコを吸いながら、「25年も共に過ごした相手をなくすのは、寂しい」と呟く姿に、血のつながりなんて関係ない、「家族」の存在が見えてくる。

 サラ自身が、実際のところ母親に対してどんな感情を抱いているのかは、劇中でははっきりと語られない。そのかわりに、彼女の監督作『テイク・ディス・ワルツ』が思い出される。平凡な主婦が夫以外の男と家を飛び出す姿を描いたこの映画は、決して主人公の主婦を批判したりせず、そういう人間なんだと受け入れていたはずだ(未見の方は、是非)。

 映画は、父マイケルが自分の思いを書いた文章をスタジオで朗読する姿から始まる。すべては既にどうにもならない過去について、人々は物語る。その内容は、ひとりひとり違っており、ダイアンが本当は何を考えていたのか、何が正しい真実の出来事だったのかは、誰にもわからないし、そんなものは存在しない、という事実だけが浮かび上がるようにすら見える。

 人々の自分勝手な記憶と、かなり丁寧に撮影された過去の再現映像が編集され、108分の映画になる。果たしてこれをドキュメンタリー映画と呼んでいいのか、そんな疑問を持つ人もいるだろう。しかしその問いに対して私は、この映画は、正しい答えなんて存在しない私たちの物語そのものなのだと応えたい。

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