『紙の月』 吉田大八監督
ひとりの地味な主婦が、巨額横領事件を起こす。ショッキングな内容に聞こえるが、映画はじわじわとそこに至る過程を描いており、この主婦の行動が特別に罪深いものではなく、ひとりの女がこの事件を起こしてしまった心理に、納得できる作品になっている。
宮沢りえ演じる平凡な主婦、梨花は、銀行の外回り営業として契約社員で働いている。顧客からの評判も良く仕事は順調。田辺誠一演じる夫は、妻がクレジットカードを持つことに難色を示すような性格であるが、一応は優しく、一見すると梨花は恵まれた生活を送っているようだ。
そんなある日、梨花は裕福な顧客の家を訪問し、大学生・光太(池松壮亮)と出会った。梨花を「素敵な女性だ」と認め、頼ってくる光太。彼との逢瀬がスタートし、徐々に梨花の隠れた欲望が芽吹いてゆく。それは若い愛人男性から「いい女」と思われたい、というほんの少しの見栄だった。
空っぽの女
最初は、外回り中に立ち寄った化粧品売り場で、お会計時に財布の中の現金が足りなかったため、集めた預かり金から1万円を無断で“借りた”だけだった。このときはほんの一時的な借用で、梨花はすぐに自身の銀行口座から1万を引き出して集金袋に戻す。だが、愛人に「いい女」と思われたい一心で、現実とはまったく違う「金持ちの主婦」を演じはじめた梨花の虚構は膨らむばかり。「すぐに返せば、バレないし……」。梨花の倫理観が崩れる。顧客から預かったお金に手をつけることが習慣化し、当初はきちんと返すつもりで少しずつ、それがだんだんと桁違いに、使い込み出してしまう。
好きな男と好きなだけ高級な食事を楽しんで、思う存分ショッピングして、ホテルのスイートに泊まって……。上質な服を買い、身綺麗にして「いい女」を演じ続ける梨花はもう止まらない。顧客を騙し、偽造証書を作成しまくって、みるみるうちに横領金額は増大していく。
犯罪に手を染めていることを自覚していても、一時的に、梨花は幸せだった。しかし、スクリーン上の梨花はまったく幸福そうに見えないどころか、あまりに痛々しい。自分自身の本当の欲望が、お金やブランド品では絶対に埋まらないものだと気付いていない梨花の姿が、実に憐れなのである。
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