本妻、妾、第三の女。ひとりの男が蒔いた悲劇の種。映画『二重生活』

【この記事のキーワード】

夫は巣作りの無限ループをしていた?

 お互いの存在を認識してしまい、二号の家に乗り込んだ本妻は、「この部屋は懐かし過ぎる。学生時代の自分たちの家のようだ」とつぶやき、その残酷さに苦しむ。若い頃からお互いに働き、やっと手に入れた安定した立派な生活を誇りに思っていた本妻。しかし夫が求めていたのはそれではなく、過去の、貧しくても暖かい幸せだったのか。

 一方、男は自分を愛していると思っていたが、それでもやはり本妻との生活の繰り返しに過ぎなかったのだと悟る二号も、本妻による上記の台詞に心がやぶれる。

 それでも、ふたりの女は求め続けてしまう。深く傷ついた彼女らに対し、誠意を示すでもなく、あまりに情けない行動しかとれない夫を。

 そんな女たちを、私は決してバカにはできない。こういう状況を作り出してしまったのは中国の歴史や政治であるが、ロウ・イエ監督の醒めた目線を通して描かれることにより、それに翻弄される女たちの悲哀が、その残酷さがよりひりひりと迫ってくる。

―――※以下、映画の結末に関する「ネタバレ」を含みます―――

 その無常を一番はっきり痛感させられるのは、冒頭で車にはねられた女性の“正体”が判明したときだろう。彼女は「夫の第三の女」だった。おそらく、ただ軽い気持ちで年上の男と遊んでいただけの若い女だ。だが、その男が引き起こした状況により悲惨な死を遂げる。「世界がひとりの女に向かっていかに酷いことをしているか」を象徴していると見せつけるかのように、監督は事故の瞬間をしつこく執拗に、繰り返し観客に見せる。絶え間なく降り続ける雨は、二度と止まずに世界を飲みこむんじゃないかと不安になるほど強く、誰の声もかき消す。

 男と女と女、裕福な権力者の息子、貧しい路上生活者、何人かの人間がそれぞれの場所で生きた結果、ひとりの女を殺すという最悪の事態に結びつく。誰が悪いとか正しいとか、映画は明確な答えを示さない。わかりやすい政治批判もしない。しかし、果たして、誰が「私はこの女を殺していない」と断言できるのか? それは、観客としてただスクリーンを見守ることしかできない私たちにも突きつけられる問題なのだ。

1 2

「本妻、妾、第三の女。ひとりの男が蒔いた悲劇の種。映画『二重生活』」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。