―― 映画では、子供たちに色彩豊かなお料理を作って、自宅で家事をするときでもフレアスカートを履くような「優しそうな母親」が、夫に捨てられてしまいます。2人の子供を抱えて、無収入の専業主婦ではいられないので働きはじめますが、経済的にも精神的にも余裕がなくなっていくと、逆に化粧や服装も派手になる。子供への態度も雑で荒っぽくなって、男を自宅に連れ込むようになる。「母ではなく“女”として生きたい誘惑に負けている」と非難されそうな描かれ方だと思います。あるいは、お母さんが風俗で働いている直接的な描写はないものの、大阪二児放置死事件を想起して、「風俗で働くような“貞操のない”人間なんだ。だから子供を殺しに走るんだ」と考える人もいるだろうと思いました。
緒方 おそらくそういう見方もあるのだろうと思います。ぼくは風俗で働いている人がああいう事件を起こしてしまうなんて思っていません。でも生活に余裕がないから、日当をもらえる水商売をして、過酷な仕事内容に心も体も病んでしまうという流れ自体は否定できない。
いまの社会は決して女性にとって働きやすい環境ではないと思います。働く場所が見つからなかったら、キャバクラや風俗のような時間の融通がきいて日当をもらえる仕事に就かざるを得ないような状況がある。肉体労働ですし、男でいえば日雇いの工事現場作業員のような仕事であるのだけれど、それを無視して男性は「女はラクして稼げていいよな」「女は男から金を巻き上げて暮らしてる」って言ってしまうんですよね。風俗で働いている人に対して風当たりが強い大きな理由だと思います。でも生きていくためには働かざるを得ないわけじゃないですか。水商売で働いている女性は本当に叩く対象なのか、ちゃんと考えてほしい。
このような、他人の事情を鑑みない厳しい視線って貧困問題でも共通していると思います。最近、お金のない人がカップラーメンを食べている様子を見て「贅沢だ!」って言っている場面を見たんですよ。「自炊して節約しろ」ってことなんでしょうが、でも、自炊するためには時間的な余裕が必要ですし、料理経験を積んでいかないと、買った材料を使い切るとか一人前を美味しく調理するとかって難しいんですよ。初期投資として調味料や調理道具も必要ですし、食品を保存する冷蔵庫だって買わなくちゃいけないですよね。その日暮らしで生活に困ってる人に、そんなことができる余裕があるのかを想像しないで、「甘えている」「苦しい人はもっといるんだ」って言ってしまう。カップラーメンは一食89円でも買えるし、その人にとってそれが一日一回の食事かもしれない、という想像もなく。
風俗で働いている人や貧困にあえぐ人々に対してだけでなく、育児中の保護者やシングルマザーに向けられている視線も同じように思うんですよ。しかも、日本には「育児はお母さんがすべき」っていう思い込みもあるじゃないですか。
―― シングルマザーになると、お金を稼ぐのも育児もひとりでしないといけない。子供同伴で仕事できる職場なんてそうそうないですから、出勤中は託児して。託児の保育料も稼いだ生活費から払って。なのに、その託児先が不足しているから「働けない」、働けないから「預けられない」という悪循環がありますね。
緒方 そうなんですよ。いま社会は共働き推進の方向に進んでいますよね。しかし女性の社会進出を推進するならまずは家庭に育児を丸投げするような社会を変えて保育制度を整えないといけない。このまま女性たちへ「産め」そして「育てろ」「働け」という圧力が加速すると、お母さんのストレスだけがさらに溜まって、いよいよ虐待が増えちゃうんじゃないか。とても怖い。
繰り返しになりますが、いまの社会には想像力が足りないんだと思います。「子供を殺した」という事実だけでお母さんを断罪するのではなくて、なぜ虐待事件が起きてしまっているのかを考えないと、これからも何度でも同じような事件が起きてしまうと思いますよ。何か事件が起こるたびに「自己責任」っていうけど、虐待は当事者だけの問題じゃなくて社会で考えなくちゃいけないんです。ぼくは映画を撮ることでもっと伝えていかないといけないと思っています。
(インタビュー・構成/カネコアキラ)
緒方貴臣(おがた・たかおみ)
映画監督。福岡県出身。高校中退後、共同経営者として会社を設立。25歳の時、退社。海外を放浪の後、幼い頃から興味があった映画の道に進むために上京。映画の専門学校へ行くが、3ヶ月で辞め、2009年より独学で映画監督として映像制作を始める。作品テーマとして、『終わらない青』では、実父からの性的虐待を受け、自傷行為を行う女子高校生を描き、続く『体温』では、セックスと人の関係性を描き、人が嫌悪するようなテーマに体当たりするフィルムメーカーの為、日本の映画製作環境下では、出資者を募るのが極めて困難な為、全作品を自己資本で製作している。