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実在するキラキラネーム/珍奇な名前は何が問題なのか?

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 著者はDQNネームやキラキラネームをまとめて「珍奇ネーム」と呼び、こうした名づけをしている大半の親は、その名前の何がいけないのか自覚していないという。また、著者のもとへ名づけ相談に来る親たちの名前候補に珍奇なものが並ぶとき、著者が「なぜこうした名前を希望するのか?」と訊いてもその理由を答えられないという。そのうえ、社会的に珍奇ネームが批判されても、当の名づけを行った親たちは黙して反論をしない。

 そんな彼らを「無神経で愚かだ」と罵ることは簡単だが、著者は親たちが自覚できていない無意識下に「その名前をつけたい理由が潜んでいる」と分析。名づけは親のセンスや個性を主張する千載一遇のチャンスであり、親たちはカッコいい名前をつけたがっている。しかしその根底に流れているのは、親自身の無力感や劣等感であり、それゆえに名づけを批判されても正当性を主張せず沈黙してしまうのではないか――と。

 実際、珍奇ネームを名づけられることで子供にとって社会的に不都合な場面はこれから先の時代でもあるだろう。たとえば医療機関を受診するときに、読みが不確かな名前ゆえに事故につながってしまうケースや、子供本人がその名前にそぐわない外見に成長して要らぬコンプレックスを抱えてしまうケースが想定されている。そして著者が危惧しているのは、どんな漢字を何と読ませてもいい名づけが横行して誰にも読めない名前が増え、さらに改名も自由にできるようになったとしたら、もはや名前が何の意味も持たなくなるという点だ。名前が個人を特定する名称として機能しなくなることを著者は懸念している。

 珍奇ネームが増えていると見られる一方で、著者のところへ名づけ相談に訪れる親たちの多くは、字画や縁起を気に掛け、親類縁者の名づけアドバイスひとつひとつに真剣に応えようとして疲弊している様子がある。著者は常識を逸脱した珍奇ネームを良いものとして勧めはしないが、ことさらに否定もしない。それは親が「この名前を子供につけたい」と願った名であれば、自分が先生と呼ばれる立場であっても、第三者が余計な口出しをすべきでないと考えているからだ。

 名づけにかかわらず、各家庭の育児方針についても第三者が口を挟むべきでないのは同様だが、しかしそこに養育者の苦悩や混乱、そして本人も意識していないものの子供を被害者にする要素が含まれているとするならば、家庭内の問題として閉じ込めては収拾がつかない。珍奇ネームを嘲笑ったり忌避するのでなく、それを名づける親側が持つ闇に、社会がフォーカスしてもいい頃なのかもしれない。
(清水美早紀)

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