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小籔千豊はなぜ、「美女礼賛」の男社会に斬り込まないのか?

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美魔女をもてはやしたのは誰か?

 番組でも、小藪は「あなた方(=美魔女軍団)を否定する気はない」と強調しながら、メディアが美魔女の生き方を賛美するような流れが「ちょっと嫌」なのだと話している。つまり小藪が主張しているのは「美魔女ブーム批判」であり、「美魔女批判」ではない。ならば、「美魔女と直接対決」などする意味がないのでは? 小藪が直接対決すべき相手は美魔女コンテストの優勝者たちではなくて、「美しくない女は、女扱いしない(ゆえに尊重しない)」と考える男性の方なのではないだろうか。

 だから私は小藪の主張に全面的に賛同はできない。なぜ小藪は、その男性方に対してはっきり非難の言葉を述べないのか。

 小藪は「SAPIO」記事の最後を、『女の人が美だの恋だのに脳の過半数が奪われている国家というのは未来がないと思います』と締めているが、確かに、美だの恋だのに関する事柄がすべての女性たちの脳の過半数を占め、仕事に精を出さなかったり育児放棄したり不倫しまくったりしていたら社会問題になるだろう。しかし現状の日本は、「男の人が美だの恋(セックス)だのに脳の過半数が奪われている国家」だと私は認識している。女を年齢や美醜で品定めし、女との性行為に熱心な殿方たちを、小藪こそ身近で大勢見ているはずだが、なぜそこに触れないのか疑問でならない。言わないのではなく、言えないのか。それとも、彼自身もうまく整理できていないのだろうか。

 女性はむしろ、どんなに容姿が優れている人であっても、「外見だけじゃないんです」アピールをしたがる。美魔女であろうと、「良いママです」「良い妻です」というアピールを欠かさないのだ。そこを見ようとしないで「コイツは着飾っている。美魔女だ! 奉仕作業を放棄しているに違いない!」と叩くのは、男側ではないだろうか。そして、美しさや若さ“のみ”を賛美し、求めているのも、男側だろう。そこを「女の責任」みたいな落としどころにするのは、明らかにずれている。

 「女はいつまでもキレイでいなければならない/キレイでなくなったら女ではない」、という社会の空気圧に翻弄されるのは他ならぬ女自身である。ブスだろうがデブだろうが性自認が女であれば女なのに、キレイでなければ女じゃない(=女扱いしてやらない)と脅されているのだ。同時に、母親たるものは己の欲望や美醜へのこだわりを捨てて他者に奉仕すべし、という異常な抑圧も降りかかる。女の体はその人個人のものであり、「こうあるべし」という空気に乗らなければならない事情などない。職場などの属する環境によって規則がある場合に従うのは別問題だが、「どう装うか」はいつだって当人の自由なのだ。

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