4月18日に開催した「春のしQちゃんフェスティバル『産み直してやるキュウ!』」。映画『子宮に沈める』上映会、監督の緒方貴臣さんとライターの武田砂鉄さんによるトークイベント、そしてゆるキャラ・しQちゃんとのふれあいタイムなど充実した時間をお送りいただけたかと思います。本記事では、緒方監督と武田さんによるトークイベント「母性神話を崩壊させよ!」の抄録をお送りします(当日の様子を収めた動画はこちら)。
背景への問いが、「自分とは違う」を生む
緒方 本日は土曜日のお昼にもかかわらず、気持ちが暗くなるような映画を観に来てくださってありがとうございます。『子宮に沈める』監督の緒方貴臣です。
武田 ライターの武田砂鉄です。今日は「しQちゃんフェスティバル」ということですが、映画としQちゃんのテンションのどちらに合わせればいいのかが分からず、戸惑っています(笑)。
この映画には、所々、目を覆いたくなるような瞬間が映し出されます。これだけチャーハンを不味そうに撮った監督はいないんじゃないかと……。映画のモチーフとなっている大阪二児放置死事件は、事件の発覚当初、とにかくセンセーショナルに報じられました。周辺情報だけが走り出し、子供たちが実際にどのような状態に置かれていたのかは想像するしかなかったわけです。もちろん、緒方監督も、あくまでも想像で作られているわけですが、「実際にそこに広がっていたかもしれない」映像として直視すると、あの事件を表層的に処理してしまった自分たちの考えを改めなければいけなくなるはず。
―― モチーフとなった大阪二児放置死事件は、事件を起こしたシングルマザーが風俗で働いていたとか、ホストにはまっていたことが注目された事件でした。その後、彼女自身も虐待されていたことも分かっています。そのため「シングルマザーだから」「風俗で働いていたから」「虐待の連鎖だ」と、事件を起こした原因を分かりやすいものに決め付けがちですが、例えば今年に入ってから起きている虐待死事件を見ても、働く夫がいる、風俗で働いていない、平均的に見える構成の家庭でも起きてしまっています。虐待の背景は一面的ではないんですね。緒方監督の、こうした虐待事件についてのお考えをお聞かせください。
緒方 いきなり難しい質問ですね……。僕は専門家ではなく映画監督でしかないので、虐待についていろいろ語れる立場にはないと思います。
この映画を作るきっかけになった大阪二児放置死事件を知ったとき、子供が家に閉じ込められて衰弱死したという報道はものすごくショックでした。正直に言えば「そんな鬼畜なことをする親がいるんだ」と最初は思ったんですね。でもそれから、世間がお母さんばかり責めている。人によっては「死刑だ!」と言った方が優しいんじゃないかと思うくらい酷い言葉を吐いていたんです。そこで、「ちょっとおかしいんじゃないかな」と思ってこの映画を撮ることにしたんですね。
映画を撮ってから、身近な人から「虐待を受けていました」と告白されたことがありました。どうして今まで言ってくれなかったんだろうと思ったときに、もしかしたら僕にそういうことを言わせない空気があったのではないかと考えたんです。3、4日に1人のペースで虐待死が起きているというデータもあります。でもテレビ番組を見ていると、まったく身近なところでは起きていない、特殊な家庭で起こるものだと思ってしまう。そういう空気が、虐待を隠してしまっている。
身近なところに虐待はあって、あるいは虐待をしてしまうことに悩んでいるお父さんやお母さんがいるのかもしれない。そういう想像をして映画を撮る、ということしか虐待について僕に言えることはないと思います。
武田 司会の方が、「虐待の背景は一面的ではない」とおっしゃいました。でも「背景」ではなく、むしろこれは「表面」の問題だと思うんです。「この事件の背景には何があったのか」という問いへの答えを求めると、シングルマザーだったとか、夜の仕事で働いていたとか、背景にあったイレギュラーな状態がそうさせたのだという結論に急いでしまう。この前の川崎リンチ事件では、被害者の母親が5人の子供を育てるシングルマザーだったという背景があった、と報じられた。ひとり親家庭であることが「背景」として語られた。このように、事件ごとにイレギュラーの部分を探そうとするんですね。
ワイドショーのテロップを見ると「この事件の背景には何が」なんて出ている。母親に対して「かわいそう」と思う気持ちはあるけれど、そこには同時に「自分とは違う」という安堵もあるのではないでしょうか。林真理子さんが「週刊文春」の連載コラムで、被害者の母親にも責任があるかのような内容のコラムを書きました。「自分とは違うところ探し」をしたい読者を代弁するかのような意図を感じます。こういう処理が続く限りは、シングルマザーの受け止められ方は変わらないんだろう、と思います。