昨今、国の中枢からしきりに叫ばれるようになった「輝く女性」。あたかも男性は既に押し並べて輝いていて、女性もちょっとはそれに追いついてくださいよ、と鼻で笑っているように思えてしまうのは、このフレーズを使い始めた昨年5月の会合名が「輝く女性の活躍を加速する男性リーダーの会」だったからだ。「2020年までに指導的な地位に占める女性の割合を30%にする」という安倍政権の成長戦略だが、世の潮流を感知してひとまず提示してみました、という印象をまだまだ拭えない。
男と女のあり方について議論されるとき、有象無象の意見が飛び交うネットの世界は確かに乱雑で暴力的だが、そのかわり、識者(と呼ばれる人)が放ったあまりにも無責任で狼藉たる戯言についてはしっかりと抽出される傾向にある。その一方で雑誌は、限られた性別・世代の「サロン」の役割を強めるようになった。曽野綾子の「出産したら(女性は会社を)お辞めなさい」は「週刊現代」(講談社)だからこそ放言できたのだろうし、東京都議・塩村文夏議員に「産めないのか」とヤジを放った鈴木章浩議員は騒動が収まったころに「正論」(産経新聞社)の鼎談で仲間内に「たいしたことない」と励まされ、「支持者の方には、『よくよく考えれば、たいしたことないじゃないか』と言われることが多いです。ありがたいことに」と、すっかり居直ったのだった。
たくさんの雑誌を読みふけってきた人間にとっては、雑誌というメディアが、古びた旅館のロビーで泥酔したオヤジが女の趣味を語らうような場に成り下がるのは許しがたい。それに、「輝く女性」が働きやすい社会を建設的に目指すのならば、真っ先に意識を改めなければならないのは「男性リーダー」であることは明らか。彼らが、限られた性別・世代が読む雑誌にサロンのように集い、「そうはいっても男はかくあるべし」「女ってのはこういうもんだろ」と、持論を慰め合う働きかけに使うのを正していただかなければならない。いや、正すことなど容易ではないが、たとえ現場レベルで働きやすい環境への意識が整っていても、上長が黴びた風土を維持しようとすれば、その組織は変わらない。言論のフィールドも同様だ。というわけで、普段、本サイトを読まれる方がおそらく読むことのないオヤジ雑誌群から、ちっとも理解しがたいうわ言を定期的に抽出、考察していくことにした。
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「コラム書き終えて原稿を論説室の女の子に渡す時に、必ず『ああー、射精した気分だ』と言っていたのが忘れられない(笑)」
久保紘之(ジャーナリスト)/「WiLL」(2015年7月号)ワック
「WiLL」の長寿連載、堤堯と久保紘之の対談に特別ゲストとして参加したのが、産経新聞の人気コラム『産経抄』を30年以上も書き続けた石井英夫。自身も産経新聞に在籍していた久保は、思い出話に花を咲かせてすぐ、上記の発言を放つ。石井は「そんなこと言ったことないよ! 気持ちはそうだけど(笑)。口にしたことはないと思うなぁ」と否定するものの、久保は「言ってましたよ(笑)。それを聞いて、『ははぁ、物書きとはこういうものか』と感激したものです」と続ける。
物書きの端くれとして言わせてもらうと「物書きとはこういうもの」ではない。と、わざわざ添えるこちらが恥ずかしくなるが、「射精した気分」のオッサンからコラムをあずかり続ける部下の女性はさぞかし気分を害されたことだろう。久保は続けて石井に「でも三十五年間も毎日“射精”していたら、最後には腎虚(じんきょ)になっちまうところですぜ(笑)」と投げた。この手のカウパーが混ざった武勇伝は勇退したマスコミ爺さんの得意とするところだが、この対話を収録する雑誌が嬉しそうに、「コラム執筆は“射精”?」と見出しに打ち出しているのだから笑えない。彼らは、男でも女でも家族でもメディアでも日本でも、「○○ってのはさぁ」と頭の中にあるメソッドを何十年も更新しないで行使してくる。射精し終えた清々しさをそのままに今の世相にスライドさせたいようなのだが、射精し終えた気持ち良さを一方的に押し付けられたこちらは、清々しさから最も遠い心地へ連れて行かれる。
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