「家族」が誕生した近代まで、子供は愛すべき対象ではなかった?「日本の伝統」「人間の本能」とは

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Photo by daily sunny from Flickr

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 しばしば、人は「家族」という概念を崇高で尊い、大事なものと思い込み過ぎているのではないかと感じることがある。冷たく厳しい社会で戦い(=働き)、愛する家族が待つ温もりあふれる家庭で癒される。著名人の結婚報告で、「温かい家庭を築きたい」という句は定型文だし、著名人に限らずとも「家族=安らぎ、家庭=癒し」のイメージは一般に広く浸透しきっていると言えるだろう。だからこそ、家庭内での暴力沙汰や、親から児童への暴行や性虐待に「あり得ない!」と悲鳴を上げる。家族は慈しみあうもので、親は子供を愛するもので、子供は親を尊敬し敬うもの、それが唯一正しい家族のあり方だという“イメージ”だ。

 しかし、そうした「家族」の在り方は、どうも「伝統的な家族観」でも「人間として自然なこと」でもないらしい。簡単に言えば、「子供が可愛い」のも、「好きな人と結婚して家族になる」のも、「子供を教育する」のも、近代まで概念として存在しなかった。前回予告した通り、『日本型近代家族』(千田有紀/勁草書房・2011年)を紐解きながら「家族とは何か」を考えていきたい。

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「多くの人が結婚し幸せな家族を得る」時代は特殊

日本型近代家族

『日本型近代家族』千田有紀/勁草書房/2011

 「家族」という概念が日本にやって来たのは、明治時代のことだという。明治時代は西暦1868~1912年。100年ちょっと前、という感覚だ。familyの翻訳語として「家族」が誕生する以前の日本では、社会の最小単位は「家族」ではなかった……いま現在の私たちが経験している「家族」は、歴史的には特殊な(そして新種の)、存在の一形態に過ぎないことを同書は淡々と記していく。「自分の意志で自然に誰かと恋に落ち、結婚し、子どもを産み、家族をつくっていく」ことは、地球上のどこでもいつでも同じように起こり、「生物学的」な「自然」によって決定されているように見えるが、実はそうではないのだと。

 まず、明治以前の日本社会では、独身者も多く、恋愛という概念もなかったという。江戸時代までは独身のまま生涯を終える人間は多数存在し、身分や階層によって結婚しない男女が多くいた。

したがって「運命のひとと恋に落ちて、死ぬまで一緒」などと考えて結婚するひとなどおらず、末子が独立する前に親は死んでいた。子供が死んでも親は泣きもせず、子供が純真などとは思われてはおらず、そもそも家族にプライバシーはなかった(はじめに)

近代家族とは、性別役割分業に基づき、近代社会の最小単位とみなされ、親密さに彩られた家族(P76)

 近代に入ってから、男と女が愛情をもって結婚するようになり、母親が子供を愛するようになり、家族が他の領域から干渉を受けない私的領域(プライベート)になった。「誰にでも、生涯にひとりは運命の相手があらわれ、とにかく全員が結婚すべきである」というロマンティック・ラブ・イデオロギーが広まったのは、やはり明治以降の近代社会なのだという。

 現在のような家族形態のはじまりは、明治政府が「国民」を把握するときに、世帯を単位として行おうとしたためである。身分制度の士農工商を廃止し、武士階級の特権であった姓をすべての国民に持たせた。「家族」とは、さまざまな管理の単位とするためにつくられたもので、現在でも住民票の住民登録や国勢調査は「世帯単位」、納税も福祉も「世帯」すなわち「家族」が基準とされている。

 現在の民法では、結婚に際して、男女どちらかが必ず氏(姓)を改めなければならず、「選択的夫婦別氏(姓)制度」の議論も活発化しているが、夫婦同姓に関しても、1989年の明治民法までは明確な規定がなく、明治時代は一夫一婦制も常識として定着していなかった。妾が法的に認められていたし、結婚や離婚を役所へ届け出ることも徹底されていなかったという。

ひとびとは「家族」とは何かを、まだ学習していなかった。であるから、生まれたばかりの近代国民国家が、「国民」をつくりだし、「家族」とは何かを国民に教えなくてはならなかった(p9)

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