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「家族」が誕生した近代まで、子供は愛すべき対象ではなかった?「日本の伝統」「人間の本能」とは

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 特に「子供とは何か」を初めて定義し、世の中に新しい価値観を吹き込んだのが、ジャン=ジャック・ルソーによる教育の書『エミール』(1762年)だったという。それまで“子供”は“出来損ないの大人”でしかなく、いわば小さな大人だった。しかしルソーは、「子供には子供時代という固有の世界がある」と言い、【子供の発見】をした。そのうえで、子供が大人に成長していく過程で、手助けすることが教育であると説き、女たちに“新しい母親像”を示した。ルソーの教育論では「三歳までは感覚器官を鍛え、とくに身体を鍛えること」「十五歳頃になったら判断能力を訓練すること」も提示している。

 子供を親が無条件に愛し世話すること、子供が愛らしく・純粋で・健気な・庇護すべき存在であることなどは、いずれも「本能」ではなく「自然」ではなく「自明」でもない。原始から存在していた感覚ではなく、近代になって定義づけられた「子供/親の規範」だ。人間が自然に振舞うことで形成される集団ではなく、努力によって達成される(かもしれない)ものだということだ。普遍的なものではない。つまり、数十年後~数百年後の未来には、また、「家族」や「子供」「親」の理想的な在り方も変化しているかもしれない。

翻って2015年は

 しかし、今、私たちが生きているのは、過去でも未来でもなく現在であって、この現在に「家族は慈しみあうもので、親は子供を愛するもので、子供は親を尊敬し敬うもの、それが唯一正しい家族のあり方だという“イメージ”」がまかり通っていることは否定できない。

 そして日本において、「家族」制度は、ある特定の関係だけに特別の配慮を与える制度になっている。具体的に、税金や年金は特定のライフスタイルをとる者だけが優遇されるように設計されており、他の生き方の選択を阻害し、権利を剥奪している。

「結婚した男女が子どもをもち(ときに祖父母と同居し)、夫が賃労働をし、妻が家事労働をする家族」だけが「普通の家族」で、それ以外のライフスタイルを洗濯する人たちを抑圧する制度でもあるといえる。(p58)

 同書では「どのようなライフスタイルをとっても不利益にならない社会制度の構築が必要とされている」ともあるが、まさしくその通りだと首肯する。しかし、では具体的に何をどう変化させていったら良いのか、ToDoリストを作成せよとなったら、あれもこれもで混迷を極めるだろうことは間違いない。

 7月9日の日本経済新聞朝刊では、人口減少で働き手が不足している日本がとるべき対策として、「サラリーマンと専業主婦世帯の配偶者控除見直し」「「子育て世帯への税制面の配慮」「現役労働者世代と引退高齢者世代との世代間格差の是正」、そして社会保障と税の一体化改革を求めると提言している。

 また、ひとつの具体的施策を提案している若いオピニオンリーダーがいる。テレビや雑誌、ラジオなどへの登場機会も多く、1985年生まれの若手論客として注目を集める古市憲寿だ。次回は、7月上旬にリリースされたばかりの古市氏の書籍『保育園義務教育化』(小学館)を読みながら、少子化社会における児童福祉について考えてみたい。

【シリーズ 少子化と児童福祉/次回更新予定日は7月21日(火)です】

■下戸山うさこ/ 暑くてクーラーつけっぱなしで寝たら喉をやられました。

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