社会

奈良小6監禁事件から考える 自己責任論を逆手にとった「社会的な防犯意識」を

【この記事のキーワード】

「全員」が防犯意識を

 今回の事件を受けて、なぜこのような悲痛な事件が起きるのか、どうすれば「被害」を減らせるのだろうか、と考えていました。そして、日本中に蔓延っている「自己責任論」が、実は広く防犯対策を考える際に役に立つのではないか、と思い至りました。何らかの事件が起きるたびに、「油断していた被害者(や家族)が悪い」という自己責任論を唱える人々が一定数出てきますが、それを逆手にとるということです。

 例として、今回の奈良県での事件を自己責任論風に語ってみましょう。とあるワイドショーのインタビューで、地元小学生が「(以前から、事件の起きたトイレには)行きたくない(と思っていた)」と語っていました。このコメントを受けて、「悪い評判のあるトイレに、ひとりで行かせたのが悪い」と、親に対する自己責任論が展開される可能性も、なくはありませんでした。

 この種の自己責任論は、監禁事件や誘拐事件に限らずありとあらゆる場面で噴出します。性犯罪の場合は、痴漢などのわいせつ行為から強姦まで、事件が起こるたびに「被害者が露出の激しい服を着ていた」「被害者が遅くまで出歩いていた」といった“被害者の落ち度”を指摘する言説を、必ずといっていいほど耳にします。

 私はこうした自己責任論について、被害にあった理由を「被害者に押し付けている」という意味で、与することができません。どんな事件も、「加害者が悪い」ということを忘れてはいけないのです(だからといって、ただ加害者を叩けばそれでいい、というわけではありませんが)。

 被害者や加害者を叩いて溜飲を下げるより大切なことは、これ以上の「被害」を起こさないことであり、「加害」させないことです。

自己責任論から、社会的な防犯意識へ

 自己責任論は“個人”に対して「防犯意識」を押し付けます。もちろん個人的な防犯対策で防げた事件もあると思います。少なくとも、防犯対策をしている人自身が「被害にあう」ことは減らせるかもしれない。ただそれは、「他の誰かが被害にあう」可能性を減じることはできません。結局のところ、個人的な防犯対策だけでは「誰かが被害にあう」ことになり得てしまい、そしてそれは自己責任論者の格好の餌になるだけです。

 自明のことではありますが、必要なのは「個人的な防犯意識」だけでなく、「社会的な防犯意識」です。「社会的な防犯意識」は、「誰かが被害にあう」ことを減らし、「加害を起こさない」ことにも繋がると思うのです。

 冒頭の、奈良での誘拐事件現場に話を戻しましょう。地元住民によればリサイクルショップ「開放倉庫香芝店」は、土日はお客さんが多く、人通りもあるそうです。女児を連れ去るのは一見、困難に思われるのですが、しかし事件の起きたトイレは、店の外側からしか入れず、駐車場の奥にあり、店からは死角になりやすかった。「個人的な防犯意識」を働かせれば「そうしたトイレを利用しない」ことや「親が同行する」ことになるのでしょうが、それでは別の誰かが被害にあう可能性は減らせません。

 一方で、自分が被害にあわないための「個人的な防犯意識」ではなく、誰もが被害にあわない(加害が発生しない)ための「社会的な防犯意識」を働かせてみましょう。

 その場合、「死角をなくすにはどうすればいいか」「店内にトイレを移設することは可能か」「小さい子供がトイレに行く場合は大人が付き添うことを注意喚起するアナウンスを店内で流せないか」といった対応を検討し実行できれば、「加害」しにくい環境を作り、誰かが被害にあう可能性を減らすことができるのではないでしょうか?

 自己責任論は「○○なのに、□□したから被害にあった」と、事件の原因や責任を被害者になすりつけます。そのままでは、事件が起きた原因となっている「○○」や「□□」はいつまで経ってもなくならず、「被害」は減りません。そうではなく、「○○」や「□□」を検証し、事件が起こりにくい環境を作ることが、「加害」をなくすことに繋がるのではないでしょうか。そういう意味で、自己責任論者の言説は、「加害を減らすヒント」となり得るのかもしれません。
(門田ゲッツ)

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