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「アイドルを消費する」日本に、『マッドマックス』が投下したもの 西森路代×ハン・トンヒョン

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「消費すること」の感度

―― いま「消費」という言葉が出ました。冒頭でも西森さんがホモソーシャルな関係を消費しているかもしれないとお話になっていましたが、ある種の関係性やそれを前提に作られた物語、アイドルを自覚的に消費しているか否かが、キーになるのでしょうか?

ハン 男性アイドルファンの女性は、自分が消費している側なのだと自覚している人が多いですね。でも、女性アイドルファンの男性に、そのような意識を感じることはあまりありません。

西森 私の知っている男性の中には、女性アイドルが過呼吸になったり、泣いたりする必要はないって言ってる人もいますが、やっぱりそこに気づいてない人も多いとは思いますね。AKB48の総選挙のように、順番をつけることを受け入れている時点で。

ハン K-POPヲタもジャニヲタもですが、女性ファンは消費する後ろめたさのような感覚を持っていますよね。やはり、女性として消費されることを知っているからでしょうか。さっきのジョンヒョンのファンも、ジョンヒョンに異議申し立てしたフェミニストに強く共感する一方で、自分も男性アイドルを日々消費しているのだという後ろめたさのようなものを強く抱えている。抱えているからこそ、ジョンヒョンなら消費される痛みを知っているんじゃないかと思ったけど、そうでもなかった。でも、ファンだからそれを許してしまう自分がいて、それも消費ではないのかと、またそこで悩んだりする。なんというか、すごく考えています。

西森 でも、斎藤工とかは、知ってるんじゃないかと思うんですよね。消費される痛みを。それまでは、いつブレイクするかって感じでやってきたのに、2014年に、ドラマ『昼顔』(フジテレビ)でブレイクした途端に、セクシーな俳優として見られるようになってしまって、葛藤しているような発言をよく見かけます。自分ではそれが何なのかわかってないのかもしれませんけど。あと、女性に消費されている男性って、男性からは、一段低く見られてしまうことがあると思うんですよ、それを払拭したくて、余計にホモソーシャルな関係に入ろうとしたり、自虐してしまったり。その姿を見て、引き裂かれている状況の中で、それが何なのかわかんなくて、自虐したりもがいたりしていた女性たちを思い出すんです。

ハン 男性も消費されるのが普通になったら、また違ってくるのかも? 若い男の子なんか見ていると、そうなりつつあるような気もしますが。

西森 それがまさにそうなんです。今、「月刊サイゾー」で、「男子の生き様~イケメンから見る現代社会」という、イケメン俳優の方に直接話を聞く連載をやってるんですけど、20代と30代でまったく考え方が違っています。30代は、葛藤もあるけれど、それを乗り越えて自分らしさを出していこうっていう人が多い。でも20代前半になると、イケメンになりたくて頑張っているし何に悩むのかまったくわからない、とにかくキレイでいたいけれど、それに対して、男だからとか女だからと言われるのはごめんだ、と語っていて、世代で本当に変わっているのだなと思いましたね。

ハン ただ、女性による男性の消費はないことにされていたのだから、それを受け入れ、可視化することが抑圧からの解放なのだという立場があって、それ自体はある時代のフェミニズム的に、いや今も間違ってはいないんだけど、時代が進んで、もはやそれだけでは解放にならなくなっているんだと思います。さっきも話したように最近のアイドルファンの女の子たちは、女性として自分が消費される痛みを知っているからこそ、男性アイドルを消費してしまう自分に後ろめたさを感じているのだから。でもそれはどこか健全なことのような気もします。人を人として見るべきだと思っているっていうことだよね。

西森 そうですね。2.5次元ミュージカルの世界では、必ずしも握手会など、直接ファンと俳優が触れ合えるイベントが歓迎されるわけではないということを聞きました。それは、舞台の上で俳優という仕事をしている状態や、キャラクターになりきっている状態を消費しても良いけれど、その人が生身の人間に戻ったときには、消費をしてはいけないという風に、どこかで自制しているような気がしますし、私自身もそう思っているのではないかと。でも、だからって、「それは縛られている。もっと自由に消費しようよ!」とは思えない。そっちのほうが自分にとって不自然だという気がするんです。

語ること、そして対話すること

―― 話を『マッドマックス』に戻しますが、『マッドマックス』にフェミ要素があると気づく男性はどれだけいるのでしょうか? 決して多くはないように感じたのですが。

西森 多くないとも思うんですけど、ラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』(TBS)でジョージ・ミラー監督にインタビューした高橋ヨシキさんには、その感覚がありましたね。でも、他の媒体のインタビューでは、そういう視点は出てこなかったようです。その人自身が消費されているか否かよりも、読解力や共感力のほうが大切なのかもしれません。それと、それを語ることには、ある程度の慣れも必要なのもわかるんです。女性でも、やっぱりハンさんと私のこういう話を、「わからない」「難しい」と言って敬遠する人もいるんですよね。

ハン そう思われてしまう部分はあるのかな。勉強していないとわかんない、めんどくさいっていう。とくにフェミニズムやジェンダーの問題の場合、学問としても繊細で敏感な議論がされてきたというのはある。でも、もともとは他の学問以上に現実から出てきたものだから、自分の現実から語ればいいと思うのですが。男女の反応に違いがあるって、要はそういうことでしょ。現実社会の反映。

西森 とはいえ、私はOLさんに取材する記事も定期的に書いているんですけど、社会での生きづらさを語ってもらうと、ほとんどの人は、フェミニズム的な考え方を持っていると感じます。もちろん、あまりにも抑圧されていて、本当のことを言うと、大変なことになるんじゃないかという恐怖から口をつぐんでしまう人もいるんですけど。でも、辛抱強く、少しずつ聞いていくと、女性の本音というか、根っこにあるものは一緒という気がしますね。

ハン すごくわかります。私の友人が「ひとり1フェミ」って言っていましたが、社会がこうである以上、それぞれが女性として抑圧された何かを持っているんだと思います。ただ、それを言葉で説明するとなると、難しいのかもしれない。でも学問って、要はそういう語りの歴史的な蓄積だから、本当は現実の理解や打開の役に立つはずなんですよ。まあ、役立つように提供できていないとしたらこちらの責任で、そのつもりで授業したり記事を書いたりはしているんですけどね。とはいえフェミニズムが専門なわけではないのですが(笑)。それはさておき、こういう映画を見て、フェミだろうがそうでなかろうが、誰だってひとりひとりが違ってもいいから、語ることはいいことなんじゃないかと。見方の違いから、それぞれの置かれた立場や状況の違い、つまりは世の中が見えてきたりする。だから語ることによって隔たりを感じてしまうこともあるかもしれないけれど、それは対話のきっかけにもなる。たくさんの語りを生み出したという意味でも、『マッドマックス』はやっぱり素晴らしい映画だと思うし、それを狙っていたのかもしれないな、とも思います。

■西森路代(にしもり・みちよ)
ライター。1972年生まれ。大学卒業後、地方テレビ局のOLを経て上京。派遣、編集プロダクショ ン、ラジオディレクターを経てフリーランスライターに。アジアのエンターテイメントと女子、人気について主に執筆。共著に「女子会2.0」がある。また、 TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演している。

■ハン・トンヒョン(韓東賢)
日本映画大学准教授(社会学)。1968年生まれ。専門はナショナリズムとエスニシティ、マイノリティ・マジョリ ティの関係やアイデンティティなど。主なフィールドは在日朝鮮人を中心とした在日外国人問題。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィー)― その誕生と朝鮮学校の女性たち』、共著に『平成史【増補新版】』など。

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