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【厚木ネグレクト死事件】5歳息子を放置死に至らせた、ひとり親家庭の父親~裁判員裁判を振り返る

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 齋藤被告は、理玖くんがとても大人しく、5歳当時も、部屋を動き回る事なくひとつの場所に座っていることが多かったと述べる。

弁護人「理玖くんの姿勢は、立ったり座ったり、よく移動していましたか?」

齋藤被告「比較的大人しい……座ったときのほうが多いです」

弁護人「うろうろと部屋を歩き回るとかは?」

齋藤被告「ないですね」

弁護人「奥さんが出て行く前は?」

齋藤被告「変わらず、比較的、自分といるときは、大体決まったとこに座っている感じですね」

弁護人「産まれたばかりの頃、夜泣きは?」

齋藤被告「まったくなかったです」

 デキ婚だった妻は出産当時20歳ぐらいで、育児にひとりで奮闘しつつも「もっと外で遊びたい」と、年齢相応の願望を口に出していたという。そして妻も齋藤被告もともに、一緒に住んでいる間は“喧嘩が絶えなかった”と供述している。

弁護人「それはあなたのDVですか?」

齋藤被告「僕の認識としては、喧嘩という認識です。激しい取っ組み合いに近い……」

弁護人「殴り合うとかも?」

齋藤被告「あります。お互いグーで(殴りま)すね、主に」

 妻が出て行ったことは「帰って来ないので携帯に電話して確認」したことで分かった。妻は「いずれ時間が経ったら、理玖を連れ戻す」というようなことも言っていたという。

弁護人「出て行ったこと、どう思った?」

齋藤被告「……怒りもありました。不安もありました。育児に対する不安です。2人でこの先、どうやって生活していけばいいのかな、と」

弁護人「けっきょく、(妻が)家に帰って来ないから2人で暮らすことになりましたね。そうなって、どう思いました?」

齋藤被告「やっぱり……どうにかしないといけない、という気持ち、すごい強く働きました」

弁護人「どうしようと思ってた?」

齋藤被告「……自分なりに、育児ってものを、しないといけないという…」

弁護人「具体的には?」

齋藤被告「………はっきり言って、育児っていうもの(頭に)なかったので……正直、どういうものか分からなかったです。戸惑いながら、自分なりに何とかやって来たという感じです」

 結婚してから出て行かれるまでの約3年間、家事と育児の全てを妻に委ねていた齋藤被告は、そもそもやり方がよく分からなかったようだ。しかし、行政に相談しようという気持ちにもならなかったという。

齋藤被告「自分の性格もあると思います。寡黙っていう部分、あるので、人に相談するの苦手な人間で……」

弁護人「市役所に電話をすれば、助けてくれるとは?」

齋藤被告「そこまで頭が回ってなかったです」

弁護人「児童相談所という存在は?」

齋藤被告「知らなかった」

 これは齋藤被告の言い分であるので、真実かどうかは考慮する必要があるが、「頭が回ってなかった」「知らなかった」から、誰にも頼れないと思い込んでしまったのか。また、実母やきょうだいも近所に住んでいたのだが、これまで借金等、迷惑をかけてきたので、頼れなかったとも語っていた。当時、理玖くんは3歳前後であるため、保育園という選択肢もあるのだが、これについても選択肢から外した。

齋藤被告「一応、考えてみたんですが、仕事の時間帯を考えると難しい。自分の中で却下しました。朝晩、早いので、送り迎えの時間にまず合わない。朝4時とかその前(からの出勤)とかもある。夜勤のときもありました」

 こうして『仕事に出かけるときは理玖くんには一人きりで家の中にいてもらう』という方針で、2人暮らしが始まった。

(高橋ユキ)

次回につづく

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