
図2a

図2b
美由紀の配偶者選択基準は、統計的に考えるとそれほど極端なものではありません。図2にしめした国立社会保障人口問題研究所の調査によれば、この20年間、結婚相手に重視する条件のトップは男女ともに「性格」です。続いて「家事能力」「仕事への理解」などが支持されていて、そこにも男女差はありません。ただしそれ以外の部分については男女間で大きな違いがあり、男性は22.9%が「容姿」を選択しますが「経済力」「職業」「学歴」などはほとんど重視していません。これに対し、女性は42.2%が「経済力」を重視するのに加えて、他の要素も男性に比べると重視・考慮する人が多い結果となっています。つまり、男性は情緒的な要素を重視しているのに比べて、女性は情緒だけではなく生活手段も要求しているわけです。
さきほど、選択肢の増加は女性に「生きづらさ」をもたらしたが、それは単に「やるべきことが増えた」ためだ、と書きました。ではなぜ「やるべきことが増えた」のか。その背景のひとつには、やはり雇用環境の男女差があります。共働き世帯が増加したとはいえ結婚や出産を契機に退職する女性は依然として多く、女性の就労の意味する実態はパートやアルバイトに代表される非正規雇用です。女性が結婚相手に多くを求めてしまう原因は、雇用や経済的要因がセットになっていることは強調しておく必要があります。
「情緒」と「生活手段」も性別役割分業化されている
しかし「大手ゼネコン」勤務の美由紀の場合、多くの女性が直面する雇用や経済的不安定さはそれほど関係ないような気がしてしまいます。産休育休も取得できそうですし、ワーキングウーマンとして腹をくくって今の彼氏と結婚すればよいのではないかなとも思うのですが、そうあっさりとは決められないようです。その原因は、どうやら美由紀の両親が、大恋愛の末に結婚したにもかかわらず、たった5年で離婚してしまったことにあるようですが、『カツカレー』で描かれる美由紀の心の揺れを「生きにくさ」という観点からもう少し掘り下げてみると、多様な選択肢は実は互いに矛盾していて、そのために困難が生じているという状況が見えてくるように思います。
1980年代までの日本では男女が「情緒」と「生活手段」を分担して家族を運営していましたし、生き方や人間性もそれによって規定されている部分がありました。男性は外で働き、生活手段を担当する(ので、粗雑だったり鈍かったりしてもまあ許される)。女性は家庭で専業主婦となり、情緒を担当する(ので、学歴は必要ないし仕事も腰掛で良い)。つまり、情緒と生活手段は「家の中と外」「男と女」というように、今までの社会では独立した領域で担われていて、相互に矛盾する要素だと位置付けられていました。
「やることが増えた」だけでも大変ですが、その要素が個別に矛盾しているのですから、全部を実現するのはいわゆる「無理ゲー」です。結婚をするためには最終的な決断をしなくてはなりません。では、その根拠は何なのか。ひと昔前でしたら「運命」とか「真実の愛」が動機になったのですが、そもそも美由紀の行動が愛情を不安定なものとみなすところからスタートしていることからもわかるように、今日の日本ではそういった要素が説得力を失ってきています。悩みに悩んで、結局「好きなように」やるより他ないのが実際でしょう。
複数の選択肢がありながらそれが相互に矛盾していると、最終的には個人の欲望が優先される状態が結局引き起こされる。この図式は社会学では古い歴史があり、「無規範状態」と呼ぶこともあります。無規範状態は「好きなよう」にやれるという意味では「自由」と言えるかもしれませんが、反面では、共感したり一緒にがんばったりといった横のつながりを持ちにくくするとされています。ただでさえ自分の生き方に確信が持てない現代の女性にとって、これは厳しい状況です。なぜなら、自分の選択を周りから認めてもらえないだけでなく、かえって批判される可能性を広げてしまうからです。