西炯子『カツカレーの日』に、アラサー女性の「ダメ出しニーズ」が見える

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 女性の社会進出が引き起こした選択肢の多様化は、日本だけではなく他の国でも生じています。ではなぜ日本の女性は無規範状態にさらされ、生きづらさに直面しているのでしょうか。アメリカの社会学者ロバート・キング・マートンは「あこがれ」や「夢」といった文化的な目標と、それを実現するための手段にギャップがある社会は無規範状態に落ち入りやすいと指摘しています。

 日本社会における家族や育児へのサポートがかなり脆弱なのはいうまでもありません。その証拠としてしばしば指摘されるのが家族関連社会支出の少なさです。人口の確保は国家の基盤ですから、教育や医療費、生活費など子供の育成に必要な部分について国がある程度の支出をするのは先進諸国ではよくあることです。このため、例えばフランスやイギリスなどでは、収入や仕事にそれほど恵まれていなくても子供を持つことができます(なので近年子供が増えています)。日本は家族関連社会支出の割合が少ないことで知られていて、家族や子供を持つためには大変な努力が必要です。結婚しにくさや生きにくさは個人的な生活だけではなく、社会の制度設計と大きくかかわっているといえます。

 今回は『カツカレーの日』を題材に、「ダメ出し」ニーズを生み出す日本の社会構造について考えてみました。雇用形態の不安定さを背景に、女性は情緒と生活手段の両方を結婚に求める傾向が強いのですが、『カツカレー』でも描かれているように、情緒と生活手段の両立は意外に難しい事柄です。その原因の一つに、両者は互いに矛盾する事柄と位置付けられてきたという社会状況があります。矛盾する理想を一度に実現しようとすると、そこには「生きづらさ」が生じてきます。

 これを解決するひとつの行動指針は「好きにする」ということになります。しかし個人的な欲望を行動の基準にするというのは、それ自体不安定なものです。また、今の日本では「好きにする」ための資源も自分で準備しないといけないため、「好きにする」と「生きづらさ」がますます加速される状況にあります。

 そうしたなかで、自分の立ち位置を確認できる定点となり得るのが、他者からの「ダメ出し」なのではないでしょうか。本作で美由紀に「ダメ出し」をしていく高橋は、海外で橋梁事業に携わっているという設定が示すように「外で」働く人です。粗野な言動や体型からも、典型的な「男らしさ」を体現しています。女性の生き方が多様になったことで却って「男らしさ」が必要とされるようになったという皮肉な状況は、本作の示す重要な問題提起のように思います。

 高橋と美由紀の関係が「ダメ出し」を通じた対立からある種の信頼が生まれるところで第1巻は終了しました。これが恋愛に転じていくのか、擬似的な親子関係に落ち着くのか、あるいはその両方か。今後の展開を楽しみにしたいと思います。

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