世代間の「連鎖」を断ち切るために、子供達に「承認」「受容」を
亀山 いまお話の中で、「連鎖」という言葉が登場しました。取材する中で、私も親から子への貧困の連鎖を感じさせる場面に会うことがあります。
親が教育に関心が無いと子供は中卒(最終学歴が中学校卒業)で、その子供の娘も中卒だったりします。その連鎖から脱することが出来る人もいますが、多くはできないままです。秋元先生のお話にもありましたが、若くして妊娠する女の子の母親は若い。この連鎖から抜け出すのは簡単にはいかないと思いますが、なにか方法はないのでしょうか。
秋元 さきほど福島先生が仰っていた3つの「せい教育」と同じようなことを、私は「ライフスキル教育」と呼んで取り組んでいます。健康に生きるために必要なことや心の問題のことを伝えたり、その一環として産婦人科として性のことを教えたり。義務教育を卒業するまで教えようということで、小・中学校で子供たちに話しています。
一方で、妊娠した女性が精神的な安定感を持てるようにするよう、産婦人科医などの専門家が手厚いサポートをする取り組みもしています。また、PTAや商工会などに対しては、「いまの若者たちが大変な状況にあるから、もう少しおせっかいおばちゃん・おじちゃんになってくださいね」と伝えています。
すべてのことがリンク(関連)した活動をしていかないと、多分どこも上手くいかない。そう考えると、私は藤田さんの活動はかなり(他の支援活動にも)リンクしていると思っています。
藤田 ソーシャルワーカーとして色々な方の話を聞いていますと、社会福祉は「心の貧困」(心理的貧困)になかなか立ち向かっていけてないと感じます。私たちのところに来る方々は、承認や受容を求める方が非常に多い。しかし、衣食住を整えることはできますが、満たされたい・認められたいということに対しては制度が追いついていません。「心の不安定さを充足したい」というところへの解決が課題だと感じています。
福島 社会福祉になかなか臨床心理士が入り込めないんですよね。入り込んでも上手く働けない。「心について重要だから(取り組もう)」と言っても、手が回らないというのがありますね。
秋山 実際、岩手県では臨床心理士が、精神科のある病院以外の病院に勤務するという実績がいままで一回もありませんでした。社会福祉に入り込めていない現状がここにもある。
去年、私が勤める病院に週に1回臨床心理士に来てもらうシステムをやっと作りましたが、システム導入を検討する際に、県議会で問題になりました。臨床心理士の先生にいくら払えばいいかという決まりが無いため、そこから作らないといけない。そのくらい、精神科以外の医療のシステムの中に心の問題への取り組みを入れ込めていないし、入り込めるようにするのは難しいんです。
認めてくれる場所が減り、若者の承認欲求は満たされなくなった
亀山 「心の貧困」(心理的貧困)に関連して「承認」「受容」という言葉が出てきましたが、若者たちの承認欲求が強まったのは最近なのでしょうか。
藤田 私は色々な方の生育歴を聞いてきましたが、概ね経済的貧困状態の方たちは一度も承認された経験や、ありのままの自分を受容された経験に乏しいですね。自分自身が生きていていいとか、大事にされているとか思えないという人がいるというのは、今に始まったことではないでしょう。しかし、核家族化も進行し、地域の関係性も希薄化し、学校や社会も多様な若者を受け入れる度量がない。要するに、あらゆる社会内の組織に余裕がなく、子どもにかける時間も十分ない。承認される場所が少なくなっているため、顕在化しているのだと思います。
福島 私の印象では、とにかく親に対する若者たちの承認欲求は高まっています。学生たちは、「親に分かって欲しい」とよく言います。僕や亀山さんの世代は「親に分かって欲しい」なんて思わなかったですよね。「どうせわかんないだろう」と思っていたので。
でもよく考えたら、今の若者たちには親以外に承認される先が無いのです。最後の砦として親に承認を求めるが、親は自分を承認してくれない。僕が子供の頃は、少なくとも山と川は僕を承認してくれていた。いまはそういう場所が無い。自分を受け入れてくれる親戚や近所の人、八百屋のおじさんもいない。
秋元 LINEなどのSNSも、承認欲求が満たされない状況に大きな影響を与えていると感じています。娘を見ていても思いますが、LINEのグループを本当にたくさん作って「このグループではこの話をしてもいいけど、このグループはダメ」なんていう風に気を遣っています。そのままの自分を認めてもらうのではなく、グループごとに「自分」を使い分けている。そして、友達と縁を切ろうと思ったら、LINEをぶち切る(ブロックする)だけで終わり。実際の接触が少なくて済む。そういう風な人間関係の構築が、生まれた時から存在するのがいまの若者です。
彼女たちは生まれた時からネットがある生活をしていて、なんでもググればOK。実際に会って仲良くなるとか、手をつないでドキドキするとかを通り過ぎている。だから恋愛感情が無くても肉体的接触が可能になっている。でも、本当に寂しいという要求自体は解消されない。
藤田 SNSに関して言えば、友達同士で気を遣いすぎるという大変な点もありますが、良い面もあります。SNSを通して、「相談する」というハードルは低くなっているからです。ネット慣れしている世代であればあるほど、ネットの先の支援機関に繋がりやすくなる。NPOの拠点や支援機関に直接行くのはハードルが高いですが、ネットを介しての相談はアクセスがしやすい。私達の活動でも、ネットを上手く使っていきたいですね。
亀山 ネットで繋がれない層のほうが、支援機関に結びつきにくいということはありますよね。
秋元 そういう点で言うと、病院はSNSの活用はかなり難しい状況です。検査をしたり病状を確認したりする必要があるから、リアルじゃないと話にならないことも多い。また、若い分だけ信頼すると子供たちはその人にのめり込みます。例えばメールアドレスを教えると数分おきにメールが来たりする。中には子供たちから来るメールにすべて返信するドクターもいますが、私みたいな状態では難しい。
そこでどうするかというと、情報リテラシーを教え、信頼できる人を得る手段を伝えるんです。ネットの先には何があるのか、信頼できる大人をどう探すのか。「誰を信頼すればいいんですか」という子供たちの問いに対して回答をする。
「信頼できる大人」への一歩は「おせっかいおばちゃん・おじちゃん」になること
亀山 私達のようなごく普通の大人が、なにをどうしたら、子供たちの貧困は解消されるのでしょう。
秋元 さきほどのPTAや商工会への声掛けと同じになりますが、やっぱり子供たちに声をかけることですね。「お腹空いてないの?」とか言って。おせっかいなおばちゃんやおじちゃんが増えていかないといけないなとつくづく思います。
藤田 秋元さんが仰る通り、声を掛けるしかないですね。彼らは風貌が怖かったり話し方が雑だったり、コミュニケーションスキルは十分ではありません。そのため話しかけにくい場合も多い。そこは大人のゆとりとして時間を掛けて丁寧に話すのがいいと思います。大人も、なかなか人の話を丁寧に聞くゆとりがないですよね。これは支援機関も同じです。語彙が少ない若い子ほど、時間をかけなきゃいけないんですが……。
多くの子供たちは出身家庭の貧困をひきずっています。本来は家庭に入り込めないと貧困は断ち切れない。どうしても社会は、親・家族に信頼を寄せてしまう。親がいれば安心でしょうと思ってしまう。貧困の連鎖を断ち切るためには、親を信頼し過ぎないことも重要だと感じます。
福島 家でも学校でも支援機関でも職場でも、本当は話す時間をたっぷり取れればいいんですけどね。わたしはカウンセラーなので、一回50分はたっぷりやれますが、それでやっと悩みが出てくるという状況です。学生の中には、2時間掛かるものもあります。ほとんどの話は助走で、最後の10分で本当に辛い話が出てくる。
秋元 子供たちは大人に対する信頼が無いから、最初はけんか腰。どうにかこうにかなだめすかして、飛び出していかない様にしながら話をしていると、やっぱり40分はかかってしまう。子供たちにどうやってきちんと時間を掛けていけるかというのは、日本全国色々な場所で日々葛藤が繰り広げられています。
だから「信頼できる大人」のネットワークを、相当な勢いで構築していかなければなりません。また、専門家が早い段階で子供たちの抱える問題へ入り込むシステムが求められています。信頼できる大人が一人でもいれば、(性的搾取の対象になる状況に)陥らずに済むということいっぱいがありますから。
(構成/此方マハ)