性教育の過去20年を振り返り、これから先10年を語る Next Generation Leaders’ Summit 2015

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「性について話すことは恥ずかしい」と感じた性教育の授業

種部 クイズに続いて、20年前、0~8歳くらいだった登壇者の皆さんが、どのような性教育を受けてきたのかを伺いたいと思います。山瀬さんはどんな性教育を受けてきましたか?

山瀬 学校の性教育については、遠い記憶の彼方といった感じです。教科書に書いてあることを先生がなぞっている。それ以外の記憶がありません。小学生の時に初経教育は受けましたが、どちらかというと、母親が「生理ってこんなものなんだよ」と教えてくれたことの方が印象に残っています。

内藤 私の場合は小学校5年生の宿泊合宿の前に、女子だけが集められてナプキンの使い方や捨て方、ショーツへの付け方などを教えられました。その間、男子はサッカーをしていました。

中学生の時には外部講師を招いた性教育が行われたのですが、講師がおもしろおかしく話す人でして。「男の人に暗がりに連れてかれたら『ダメ』って言わなきゃいけないのよ」みたいな。その授業を周りの先生たちもニヤニヤしながら見ていました。その時、「性について話すのは、恥ずかしいことなのか」という印象を受けました。高校の時は、教科書をとにかく先生が音読するというものでしたね。

種部 学校の性教育の授業で学んだことは、今の生活には役立っていますか?

内藤 いまの活動の原動力になっています。私は、学校の性教育で「性について『真面目に』話すのは恥ずかしいことなんだ」というイメージが付いてしまいました。中学校・高校6年間寮生活をしていましたが、年頃の女子が何十人も集まっていたので、常にエロい話をしているような生活だったんです。でもそれも「真面目に」話すのではなく『ネタにしていた』んですね。コンドームに水を入れて膨らませて遊んだこともあります。

今は「エロい話もいいけど、「性について『真面目に』話すことは恥ずかしくないんだよ」ということを伝えたいと強く思うようになりました。

西出 私が中学2年生の時はドラマ『3年B組 金八先生』がとても流行っていた時期でした。性同一性障害や想像妊娠を取り上げた第6シリーズです。

そんなこともあってか、先生たちは「性について」けっこう教えてくれてたほうだと感じています。

妊娠に対して、先生たちに「とにかく(セックスは)責任取れる大人になるまでは絶対にしてはいけない」と習いました。性教育に熱心な先生もいて、家庭科の授業で出産シーンの映像を見せられたこともありました。モザイク無しで、女性が出産の痛みで叫んでいる映像です。見終わった後、5人くらいの生徒はショックで保健室に行きました。

そのような性教育を受けて、「セックスは責任持てるようになるまでしてはいけないし、出産は痛いし大変そうだし、大人になっても出来なさそう」という受け止め方になりました。

種部 それだと「何歳になったら(セックスをして)いいんですか?」って聞きたくなりませんか。授業中、誰も先生に聞きませんでしたか。

西出 誰も聞きませんでした(笑)。ダメダメ言われたけど「いまからどうぞ」とは誰も言ってくれないから、困っている人が周りにも結構いるでしょうね

齋藤 私も最初に性教育を受けたのは小学校3・4年生くらいで、内藤さんと同じく宿泊合宿の前でした。

私は家であまり性の話をしてこなかったので、学校から返ってきたあと「学校で教わったこと」として性の話を両親にしたら「そういうことはあまり大きな声で話すことではない」と言われました。そういえば教室から戻ってきた時、女の子たちはこそこそし、男の子たちは何も無かった様に振る舞っていました。なんで教科書に載っていて、学校で習うことなのに話しちゃダメなんだろうと思いました。

中高生の時も性教育はあったのですが、先生が教科書をなぞっているだけでした。先生はやはりおもしろおかしく性について話し、生徒もニヤニヤしている。「自分のことなのに、なんで真面目に聞かないんだろう」と不思議でした。

種部 皆さん、自分たちの聞きたかったことを聞けていないということですね。先生方にとっても、一生懸命性教育に取り組んでいた時代から後退したまま、性教育をしっかり教えたいと思ってもできないということです。

「他人事」ではなく「自分事」として受け入れられる教育を

種部 では、ご自分が受けた性教育を振り返ったところで、逆に「これだけは教えておいて欲しかった」というものはありますか。

山瀬 私はいま、一緒に暮らしている女性のパートナーがいますが、「女の子のパートナーがいる」という話を友人たちにするようになってから、色々な相談をされるようになりました。「人を愛せない」「色々な人と(セックスを)しているんだけど、社会的に良くないことなんだろうか」とか……。

性には色々な形があるのに、学校の性教育は「こういう風に家庭を作っていってね」という内容ばかりなのではないでしょうか。ちょっとでもイレギュラーな事態に向き合わなくてはいけない時、自分が教わったことの中にはそれを解決できそうな手札がない。「色々な人がいて、色々な生き方があるから、そんな悩まなくたって大丈夫。生きていけるよ」というメッセージが、学校の性教育にもっと沢山あったら良かったと思います。

内藤 「教えて欲しかったこと」とは違いますが、「正しいことを調べるのはおかしくない」という雰囲気や、先生の教え方があれば良かったと思います。

性教育の授業が終わったあと、先生が笑いながら「先生だって(教えるのが)恥ずかしいんだよ」と言ったことがありました。それがすごく印象的だったんです。先生が個人的に恥ずかしいと思うのはいいんです。

でも、教える立場の人がぼそっとでも口に出すと、生徒は「本当は性について調べたいけど、性について調べることや知ることは恥ずかしい」と感じてしまいます。学校で教えられることが限られているのであれば、それ以上のことを知りたい時に「調べていいんだよ」「聞いていいんだよ」と言って欲しい。

西出 私の学校の先生は「命は素晴らしいんだよ」という人もいれば「責任持てるまで(セックスは)しちゃだめ」という人もいました。学校の性教育では、先生の勝手な思いでコーティングされた情報だけを押しつけられてきた気がします。

私は、学校教育を通して「命が素晴らしい」と感じたことは全く無かったのですが、出産に立ち合う機会があり、そのときは、素直に「命って素晴らしいな」と思えたんです。自分が出産して「命はすばらしい!」と思って言いたくなっても、それは事実ではありません。聞くほうにとっては、勝手な思いを乗せすぎたりする情報は受け取りづらいということもあります。どう考えるか・感じるかは個人の受け止め方に任せて、学校の性教育では誰の思いも付け足されていない情報を教えるべきだと感じています。

さきほど山瀬さんが受けた相談のように、例えば「複数人と関係を持つことについてどう思うか」などの「問いかけ」から始まる教育があってもいいと思います。問いかけからどんどん知識にアクセスしていくというのが健全な知識の得方だと思うんです。先生に教えられたものをそのまま受け入れるのでは、先生がいないと何もなり立たなくなってしまう。自分で考えたり、試しにやってみたりするということがなくなります。

知識を淡々と教えることに加え、問いかけから始めることも学校の性教育でやってみると良いと思います。私自身も、知識に行き着くまでのプロセスに「問い」を用いてだんだん知識を手に掴むというスタンスでいたいです。

齋藤 性について自分ごとだと感じるタイミングが、私にはありませんでした。自分にとって性教育の授業は、単語を覚えてテストを受けるためのもの。今はそれではダメだと思い、SCORAの活動では、どうすれば「他人事」ではなくて「自分事」として受け取ってもらえるかを常に考えています。

中学校で出前授業をする際、例えばいまパートナーがいない子にとっては「デートDV」などは関係無いと捉えられることもあります。でもそれは違う。いまは関係ないと思っていても、性は「自分を大事にする」「自分の大事な人を大事にする」ことです。男女別で性教育が行われるのも、男の子たちにとっては「他人事ですよ」というジェスチャーになってしまいかねない。私たちが出前授業をする時は男女一緒にやりますし、「あなたの身体で起こることではないけど、あなたの大切な人の身体で起こることかもしれない」というメッセージを伝えるようにしています。

西出さんが仰っていたように「勝手な思いでコーティング」されていないまっさらな知識を教えるということも大事ですが、授業をする側ではなく受ける側の生徒には「当事者である」という認識が無いと、なかなか知識は入ってきません。

種部 受け取る側に当事者性が無いまま知識だけを与えられても「何のこと?」ってなってしまいますからね。また、教える側に当事者性がありすぎると、熱意は買うけどバイアスが掛かっているというところが問題になるということですよね。

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