―― マックスは初め、生き抜くためにフュリオサやワイブスを見捨てようとしましたよね。そんなマックスが彼女らと協力することにしたのは、そのほうがむしろ自分にとって得になるから、という面がありました。
ハン 合理的な理由が最初はありましたね。
西森 目的としては、イモータン・ジョーの軍団から離れたい、生きられればいいというのがあったとは思います。というのも、マックスはウォーボーイズと違って、すごくイモータン・ジョーの権力に対して冷めてますよね。輸血袋になって車に張り付けられてる間も、ジョー様の軍団は戦火にあってあんなに興奮状態なのに、マックスは「おいおい、いい加減にしてくれよ、こんなアホくさいことに巻き込むなよ」っていう表情で。
で、フュリオサとワイブスに加わるときも、もちろん利害ではあったんだけど。私にとって新鮮だったのは、あの布の少ない服を着たワイブスにもフュリオサにも最初から一切マックスが性的な関心を寄せてない感じ。このセクシズムまみれの世の中で(笑)。
ハン 布の少ない服(笑)。うん、確かにああいう映画でありがちな「イケてるスケだぜー!」みたいなのがまったくない。
西森 私ですら、「うわー美しい!」って思うのに、マックスにそれがなかったので、「えっそうなの?」って思いました。マックスに対しての信頼度が上がったのは、マックスがフュリオサに肩を貸して射撃するシーン。ああやって、男だろうが女だろうが能力の高い人には、委ねられるっていうのがかっこいいなと思いました。
ハン しかし、あの緊迫した状況の中で男性が欲情するのかっていったら、普通しないんじゃないのかな? わからないけど。かたや「緊迫した状況だから欲情する」っていうのもあるとは思うけど、それは今やファンタジーというか、例外的な気がします。とくに90年代的なある種の表現だと、そういうのはむしろ少なくないけどね。
西森 わかんないですよね。まあ、ああいう緊迫した状況でなくても、「男はいつでも性欲の主体でないといけない」というプレッシャーを持つ人がいるなら、「そんなの必要ないのに」と思ったり。逆にそういう考え方がしんどいって人ももちろんいると思う。
ハン 「性欲が強い/弱い」じゃなくて、性欲を使いこなせるというか「上手く距離を取れる、コントロールできる」のが人間だし、今はそれが普通にかっこいいと思うんですけどね。
西森 恋愛の場面で個人的に女性を性的に見ることはまったく否定しないけれど、社会的な場面では使いこなしていいんですよ、というね。会社でもセクシズムとかルッキズムを持ち込まないでもいいのにと。
ハン こういうことを語るときに誤解されがちなんですけど、「性欲を出さないでいい場所がある」、いや当たり前なんだけど「どこでも出していいものではない」っていうことは、「性欲がいらない」ってことではないですよね。使いこなすのが本当は当たり前でそれが理性ってもんなのに、「じゃあ性欲は不必要なのか!」と感情的な反応が生まれちゃう。まあ、ないならないで別にそれでもいいし。だから、“男はつねに性欲を抱えていて出てしまうものなのだ”っていう前提ってのが変。それって動物だろ(笑)。
西森 常に欲情しないといけないというプレッシャーがあるのでは。会社でも、仕事ができるかどうかで見ないといけない場面で、いかに好ましいかというセクシズムで見ちゃう、みたいなこともありますからね。もちろんみんながみんなそうというわけではないと思うんですけど。
ハン ひとりひとりの意識は変わっていても、規範の方が変わりにくいから、そこにタイムラグがあって、今はその過渡期なのかなとは思いますよね。
西森 『マッドマックス』シリーズの最初の作品も見たんですけど、道端でいきなり裸の男女とかが出てきたりもするんですけど、あれは時代的なものもあるだろうし、そのシーン自体にも意味があるし、マックスのキャラクター自体もわりと根本的には変わってないかもしれないとは思いました。
ハン じゃあ、ジョージ・ミラー監督って、もともとそういう資質みたいなものがある人なのかな。それに加えて、初期の作品から時間も経って、社会の側のニーズ、コンセンサスが変わってきているわけですよね。
西森 男性はコンセンサスが変わって、それがビジネスに関わるとなると、本気で世の中が何を求めているかを考えなおす人はいると思いますね。勘がいい人は、時代的にそろそろフェミニズムについて考えないとっていう感じに変化していると思う。とはいえ、変化を即座に読み取ったのはいいものの、フェミニズムについても、代弁者になろうとしたり、すぐにイニシアチブととろうとする人がいると、なんかちょっと……と思いますけどね。
ハン マックスみたいになれればいいのにね。フュリオサの代弁もワイブスの代弁もしなくていいから、ただ、マックスのようなフラットな存在になればいいじゃないって。