即物的な政治スローガンや、ただただ乱暴な雑誌広告を、素直に受け止めてはいけない。

【この記事のキーワード】

近藤誠「川島なお美さんはもっと生きられた」(『文藝春秋』2015年11月号)

 内容的に先述の中吊り記事たちとは異なるのだが、このところ、中吊り広告を眺めていて、もっとも「憎悪」を向けてしまったのは、このタイトル記事だった。54歳で亡くなった女優・川島なお美氏は、抗がん剤治療を拒否し、体の続く限り舞台に立ち続ける事を望んでいた。川島は2年ほど前に近藤のもとを訪ねてきたという。「ガン放置治療」を提唱する近藤氏の主張への賛否はさておき、命が絶えて間もない人に向けて「もっと生きられた」と軽々しく発言する神経を疑う。インタビューの最後を「今はただ、彼女の人生の貴重な一瞬に立ち会った医師として、心静かにご冥福をお祈り申し上げるばかりです」と締めくくった割には、外来に来たときには「白っぽいフェミニン(女性的)なワンピースに、つばの広いオシャレな帽子をかぶって」来たなどと余計な描写を漏らし、当時を振り返りつつ、「身長と体重から彼女のBMI(肥満度)を割り出してみると……」と、人様の痩せ具合をわざわざ具体的な数値で明かす。

 記事の冒頭で、「法律上、亡くなった方は医師の守秘義務の対象ではなくなります」と述べている。本当に守秘義務の対象から外されるのかどうか。1948年に世界医師総会で規定されたジュネーブ宣言には「知り得た患者の秘密を、たとえその死後においても尊重する」との文言もあるが、あくまでも倫理規定であり「法律上」の問題とはならない。しかしながら、死してまもなく、彼女の最期を見届けたわけでもない医師が、記事のあちこちで「〜ようです」「〜はずです」「〜かもしれません」と推察を重ねながら、「もっと生きられたのに」と断言する浅はかさは、彼の論旨や治療方法云々を問うまでもなく、ただただ無礼である。打ちひしがれている夫の姿なども、メディア通じて頻繁に目に入る。バッシングを想定した上で名前を売り続ける、生に対しても死に対しても無礼な態度を取る医師のおぞましさを見た。

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 広告はこちらに刺さるように言葉を盛るからこそ、実際に雑誌を手にとらない限りにおいて、「韓国は叩け、さもなければつけ上がる」に対して「へぇ、そうなのかー」と頷き、「川島なお美さんはもっと生きられた」に対して「へぇ、そうなのかー」と頷くことになりかねない。過激な売り文句は、多くの人にとっては「それなりの事実」として受容される。スローガンが強ければ強いほど、体には刺激的に響く。執念深い取材で辿り着いた事実を知らせるルポ記事よりも、受け手の感情をいたずらに刺激する即物的なメッセージが受ける。ネガティブな方向でも、ポジティブな方向でも、即効性が肝となるのだ。

 即効性。「3本の矢」の検証を少しもせずに「新・3本の矢」を提示して色めき立っている姿もまた即効性の産物だ。しかしながら、その「矢」の発表を受けて、あれだけ安保法制で警戒していた面々のいくらかが安直に覆り、内閣支持率が軒並上がっていると聞けば、驚く他ない。私たちはもうちょっと、心地よいスローガンの背景にある意図に考え及ばなければいけない。こちらが安直に引き受ければ引き受けるほど、スローガンが簡素になり、知らぬ間に取り組みが強まってしまうのである。

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