セックスはいつだって男のせい? 『先生の白い嘘』から考える「男女の支配」

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「愛がある」から支配に従う?

 先述の通り、美鈴と新妻は「セックスの責任は男にあるのか?」という問いをめぐって対立していました。「男なのだから本当に嫌だったら力づくでも逃げられたはずだ」と新妻を責める美鈴に、「力ではない暴力もあると思います」と新妻は反論します。ふたりのやりとりで興味深いのは、「支配」によって受ける苦しみや痛みは、被害者の性別にかかわらず共有できる部分があるのではないのかという視点が出されている点です。二人は対話を続けるなかで、「恐怖感に蓋をした」「逃げ出したいのに逃げられなかった」という「支配される理不尽さ」を性別に結びつけ、それによって自分を縛り付けていたのは自分自身だったという気づきを得ます。

 支配について考える際、「誰かから何かを強制されている」という構図をイメージすることが多いでしょう。「自由と権力は水と油であり、誰かを支配するためには自由を完全に奪う権力が必要である」と一般的に理解されているところもあります。

 しかし社会学では、一方的な支配関係においても、実は支配される側が「(嫌々従うだけでなく)自ら従ってしまう」、「からめとられてしまう」というメカニズムが働いていることに着眼します(自発的服従と呼ばれることもあります)。なぜこのような自発的な服従が生じるのか、そのメカニズムについてはいろいろな考察がありますが、古くから注目されてきたのは、支配される側が「この支配は正当なものだ」と自ら進んで認めているケースです。「法律で決まっているから」「信頼している人が言うことだから」「古くからみながやっていることだ」「愛があるから」といった事柄は、よくある「正当性」の根拠です。これらのロジックを使って人は多くの支配に自ら従います。

 作中でも「鬼畜」と呼ばれる早藤は、処女をターゲットにレイプをし、相手が性的経験に乏しいことを逆手にとって、複数の女性と都合の良い関係をつくりあげていきます。「愛があると思い込めば楽になる」「女はそういうエゲツない生き物だ」と語る早藤のキャラクターは、男女の非対称性が支配の正当性と関連しているという状況を的確に表現しているように思えます。社会の側から見てみれば、自発的服従には秩序が得られるという効果があります。しかし個人の側から見てみれば、気づかないところで自分自身を犠牲にしている可能性があることも知っておく必要があると思います。

男性という支配、先生という支配

 『白い嘘』の最新刊では、自発的服従の正当性を性別に求めていた美鈴と新妻が新しい関係に向かって歩みはじめる様子が描かれていて、閉塞した状況に明るさが見えてきます。しかし、ふたりはさらに大きな困難にぶちあたることになるのではないかという予感も物語の中で示されています。ごく日常的な言葉に置き換えれば、「女性教師が教え子をセクハラしている」と理解されてしまう状況に彼らは身を置いてしまっているからです。

 ドイツの社会学者マックス・ウェーバーによれば、自発的服従をもたらす仕組みには歴史的にみて3つのパターンがあるとされています。合法的であるがゆえに服従する「合法的支配」、伝統的な権威に基づく「伝統的支配」、個人的な資質に基づく「カリスマ的支配」です。

 ウェーバーは合法的支配の純粋な形として官僚制を挙げていますが、今日の社会における身近な合法的支配の例のひとつとして、学校および先生と生徒という関係はしばしば挙げられるところです。教師である美鈴は、この社会において網目のように張り巡らされていてほとんど無自覚に服従してしまう支配の体系に、本人の意向とは無関係に自動的に加担できてしまう立場にあります。これまで「支配されている」側だった美鈴ですが、実は自分自身「支配している」とみなされ得るという状況は今後どのように展開されていくのでしょうか。本作から目を離せません。

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