腐女子が読む『嵐が丘』~関係性のセクシーさを求めて

連載 2015.11.10 10:00

『嵐が丘』(光文社古典新訳文庫)

『嵐が丘』の概要

 皆さんはエミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』(Wuthering Heights)を読んだことはおありでしょうか。1847年に書かれた作品で、ヨークシャの荒涼とした野を舞台に展開する激しい愛の物語は長年数多くの読者に愛されています。恋愛小説としてはイギリス文学史上最大の人気作のひとつといえるでしょう。

 『嵐が丘』はなかなか一筋縄ではいかない小説です。話の大部分は女中のネリーがよそ者・ロックウッドに「嵐が丘」にまつわる物語を話す、という枠に入っています。前半はアーンショー家の娘キャシー(キャサリン)と、一家にひきとられた身元不明の孤児ヒースクリフの恋からはじまります。中盤はキャシーが他の男と結婚してしまった後にヒースクリフが企む復讐などが軸になります。そして後半はキャシーやヒースクリフの子どもの世代が中心人物として登場します。壮大なスケールで、長い時間をかけて展開する愛と憎悪の物語なのです。

『嵐が丘』はセクシーな小説か?

 ひとつ、私がこの小説について昔から気になっていることがあります。それは、この小説はセクシーな小説なのかそうでないのか、ということです。私がはじめて日本語訳でこの小説を読んだのは高校生くらいの頃でしたが、その時に読んだ文庫本の訳者あとがきに、こんなことが書かれていたのです。

[『嵐が丘』は]まことに強烈な恋愛を描いていながら、どんな控え目な女性の作品にも現れる肉体的、あるいはエロティックな描写がほとんどみられない[。] (『嵐が丘』田中西二郎訳、新潮文庫、1989年、p. 583)

 えっ、この小説は「エロティック」ではないの!? と私は思いました。高校生なので細かいところはあまりよくわからなかったですし、たしかに明白に「エロティック」と言えるような性描写はありません。それでもこの小説は雰囲気が妖艶ですし、私の基準ではじゅうぶんセクシーでしたから、大人にはわかるようないろいろとセクシーな暗示があるのだろうと思っていたのです。

 このあとがき自体は1961年に書かれたようなのですが、他のところでエミリー・ブロンテのことを「世間知らずの28、9歳の老嬢」(p. 572)と呼ぶなど性差別がひどく、2000年頃に高校生だった私にとっては「こんなに女性作家を悪く言うなんてひどすぎる!」とびっくりするようなものでもありました。

 大学に入って原文で『嵐が丘』を学んだ時もやはりセクシーな小説だと思ったので、このあとがきだけが鈍感なのだろうくらいに思っていました。ところが、今年になって、勤め先の大学で使っている教科書の中で『嵐が丘』について似たような記述に出会いました。

これほどの激しい愛の物語はないであろう。しかし、それにもかかわらずこの作品には扇情的な官能性は感じられない。(白井義昭『読んで愉しむイギリス文学史入門』春風社、2013年、p. 88)

 私は頭を抱えてしまいました。『嵐が丘』がとてもセクシーな小説だと思っていたのは私だけなのでしょうか? 私の頭が何かよからぬ妄想でいっぱいなだけで、この小説は実は全然官能的ではないのでしょうか?

 しかしながら、どうもこの小説がセクシーだと思っている人は私だけではないようです。論文データベースでちょっと探してみただけで、『嵐が丘』のエロティシズムに言及している批評がいくつか見つかります。また、1939年にローレンス・オリヴィエ主演で作られた映画『嵐が丘』は、アメリカン・フィルム・インスティテュートが1998年から2008年までに発表した「AFIアメリカ映画100年」という映画ランキングシリーズで二度も名作としてとりあげられ、連動して製作されたCBSのテレビ特番では、ヌード描写などは一切ないのに「セクシーな作品である」ということがオススメ理由のひとつになっていました。映画と小説は違いますが、この作品の「セクシーさ」の有無を探るなんらかのヒントにはなります。

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北村紗衣

2015.11.10 10:00

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。

twitter:@Cristoforou

ブログ:Commentarius Saevus

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