最近、映画館へ足を運ぶことが多くなりました。ツイッターで、「あの映画のジェンダー観がおもしろかった」「男女の役割の描かれ方が新しかった」などという声をたびたび見かけるようになったからです。以前、messyで、社会学者のハン・トンヒョンさんと行った『マッドマックス 怒りのデス・ロード』についての対談でも話題の中心になったように、映画には様々なジェンダー観が投影されています。
・「アイドルを消費する」日本に、『マッドマックス』が投下したもの 西森路代×ハン・トンヒョン
・恋愛関係でなくても男女は協力できる 「当たり前」を描いた『マッドマックス』が賞賛される皮肉 西森路代×ハン・トンヒョン
というわけで、過去の名作から話題の映画までを見て、映画の中のジェンダー観の変化について考える連載をスタートすることになりました。今のところ、「これは見ておかなくては!」という映画の公開が続いていますし、関連する映画が見たくなることも多く、そんな映画がこれからも続々と出てくれることを願いながら続けていけたらと思っています。
『マイ・インターン』とはどんな映画か?
今回紹介する映画は大ヒット上映中の『マイ・インターン』です。この映画は、妻に先立たれ、仕事も退職し、社会とのつながりと言えば朝スタバに行って人込みの中でコーヒーを飲むことくらいだった70歳のベン(ロバート・デ・ニーロ)が、ファッションサイトのシニア・インターンに応募し、採用されるところから始まります。
その会社の社長は、自ら会社を立ち上げ、たった一年で何倍もの規模にまで事業を拡大させた若き女性社長ジュールズ(アン・ハサウェイ)です。ジュールズは、「社会貢献」という名目で世間の注目を集めようと部下が企画したこのシニア・インターン制度のことを忘れていました。それどころか、直属の部下となったベンに対して、最初のうちは、何の指示も出さないのです。
この設定を聞いただけなら『プラダを着た悪魔』で、上司のミランダからこき使われていたあのアン・ハサウェイが、『マイ・インターン』では部下、それも70歳のロバート・デ・ニーロを使う立場になるなんて……と驚くだろうし、これだけでも、一見の価値があるのではないでしょうか。
もしこの映画が、ロバート・デ・ニーロが社長を、アン・ハサウェイがインターンを演じていたらそこまで魅力的に感じなかったかもしれません。
ロバート・デ・ニーロ演じる老年の社長が、若いインターンのアン・ハサウェイを採用する。忙しくて余裕がなく、社員の顔も名前も覚えていない男性社長が、ひとりの健気で気が利き、なにがあってもめげない女性インターンに何度も助けられるうちに、人間性を取り戻し、さらに会社も事業を拡大させる……こんな物語は、パターンとしてよくありそうです。『マイ・インターン』は、それを覆したからこそ、面白い、斬新だと感じることができるのです。
年齢を重ねるほど若者の理解者になるべき?
また、ベンの立ち振る舞いを見て、「気が利いていて、助言は的確で、泣きたい時にはそばにいてくれるけど、性的なことは求めてこない、そんな父性のあるメンターがいたらどんなにいいんだ!」と思った女性もいると思います。
私なんかは、「そんな都合のいいメンターいるわけないじゃん」と思ってしまうのですが、今まで「気が利いて、助言は意外にも適格、泣きたいときは何も言わずそばにいて、淡い恋心も感じさせてくれる(ここがちょっと違うのですが)、そんな母であり恋人でもある(属性も増えてます)メンターがいてくれたらな」という男性の希望を叶えるような映画は多々あったわけですから、女性がそれを求めたからって否定することはないのではないか、と考え直しました。
とはいえ、自分の場合は、「男性であるから」「女性であるから」という視点ではなく、年齢を重ねると「若い人のよき理解者になる、メンターになるくらいしか役に立てる部分がないかもしれない」という、デ・ニーロ側の視点に立つってしまう世代にさしかかっているからこそ、安易に「こんなメンターがほしいな」と思えないということもあります。年老いたとき、誰かのよきメンターになれているか」ということは社会性ともつながることですし、男女ともに大切なことかもしれません。
これは、私が50代の女性の友人に聞いたひとつのエピソードですが、定年を迎えた男性が、ベンと同じように、何かの趣味や没頭できるものを見つけに、女性たちが集まるカルチャースクールに来ることは多いそうです。
そうした男性の態度はというと、一見、フレンドリーなようでいて、実は女性参加者の上に立とうとして、新参者であるのに知ったかぶりをしたり、自慢をしたりすることがあり、女性参加者たちは、内心では鼻白みながらも、怒らせないようにニコニコして合わせているんだそうです。
定年になった世代の男性は、会社で偉くなることが家族や社会のためになると教え込まれてきました。だから、定年後に新たなコミュニティに所属しても、習慣として同じような態度を取ってしまう。ただ、それは会社があってこそのことです。定年退職した後まで、上司として部下と接するときのようなコミュニケーション方法をいろんな場所に持ち込んだら、愛想笑いしかされなくなるのも当然です。
今回、決して威張らないベンを演じきったロバート・デ・ニーロは、過去の作品では反対の役柄を演じてきたように思います。例えば2013年に出演した映画『ラストベガス』では、亡くなった妻のことを忘れられず、家から出る気もない拗ねた頑固ジジイが変化していく姿を演じました。また、出世作『ゴッドファーザーPART Ⅱ』以降、彼が「成り上がり、人の上に立つ人物を演じている」というイメージを持っている人がほとんどなのではないでしょうか?(もちろん、近年はコメディ作品でも活躍してはいるのですが)。
しかしデ・ニーロは『マイ・インターン』という映画で、人の上に立つ『ゴッドファーザーPARTⅡ』で演じたような役や、『ラストベガス』で演じたような拗ねたキャラクターを見事に捨ててみせました。そのことで、デ・ニーロの「今」との接続がすごく感じられました。
上に立ちたいという欲望さえ捨てれば、「俺はもっと尊敬され、敬われるべき存在だ、それがないなんて不幸だ」という、自己と世間との祖語も生まれないし、拗ねる要素もぐっと減ります。そういう思い込みがなくなれば、前出の友人がカルチャースクールで出会った自慢話ばっかりして女性たちに愛想笑いされているおじさんのような人にも、世の中はけっこう生きやすくなるのではないかと思うのです。
生まれつきの姫と選ばれし姫
最近、『マイ・インターン』とともに話題となっている『キングスマン』というイギリスのスパイアクション映画が上映中ですが、『キングスマン』と『マイ・インターン』にはいくつかの共通点があるように思います。例えば『キングスマン』には「マナーが紳士を作るんだ」というセリフがありますが、『マイ・インターン』でも「マナーが紳士を作る」ことを教えてくれます。ベンはいつもハンカチを持っています。その理由は、泣いている人にいつでも差し出せるようにするため。ハンカチを人のために使うマナーがあるだけで紳士になれる。それだけでなく人生すら開けてしまうかもしれない、ということをこの映画は教えてくれます。
また『キングスマン』では、諜報部員になる若き主人公のことを、男版『マイ・フェア・レディ』と例える場面があります。『マイ・フェア・レディ』は、しがない花売り娘のイライザが大学教授に出会い、上流階級の身のこなし方を教わって一人前のレディになるという物語です。『キングスマン』では、スパイ機関の幹部にマナーを教わることによって、ひとりの少年が一人前の紳士になることを、レディになることと同義に考えているというわけです。
ある意味、『マイ・インターン』も男版『マイ・フェア・レディ』な部分があるように思いました。『マイ・フェア・レディ』のイライザは、レディになって舞踏会に出ることで、王子に踊りを申し込まれ、ある意味「お姫様」のような存在になります。また教授のかけがえのない存在にもなりました。一方、ベンは会社員時代に教養やマナーを身に着けているので、ジュールズからそれを教わる必要がない点でイライザとは異なりますが、彼の気づかいや、自己肯定感、拗ねないで周囲を明るくする態度が見初められたことが、彼を会社の中で誰からも愛される「お姫様」=(本当の紳士)たらしめたようにも見えます。これからの時代、「お姫様」になるのは、若い女性だけではなく、男性や老人でも可能になるのかもしれません。
しかし、姫にはふたつのタイプがあります。生まれつきの姫と、選ばれし姫です。生まれつきの姫は、能力があり、自信にあふれ、みんなからちやほやされ、それを根拠に好き勝手にふるまうことができます。一方、選ばれし姫は、もとは身分が低くても、気づかいや譲歩や努力や、時には自己犠牲が権力者に認められ、姫の地位にひきあげられます。
と考えると、この映画は、生まれつきの姫であるジュールズによって、ベンという老紳士が「姫にしてもらう」物語だと言っていいと思うのです。
主夫に立ちはだかる問題にも真っ向から取り組んだ
ただ、こうして男女の役割が入れ替わる物語には、反発も当然あるでしょう。男性の持つ(持たされている?)人の上に立ちたいという気持ちを去勢するなという意見もあるでしょう。また、『マイ・インターン』では、男性が専業主夫になることももうひとつのテーマになっています。というのも、若き女性社長ジュールズの夫・マットは専業主夫として育児をしているのです。男性が偉くなくても朗らかに生きられることには去勢されると感じるのに、男性が専業主夫になる道は否定しないでほしいとしたら、それはすごく矛盾しているように思えます。
主婦/主夫というのは、会社にいるときのように、業績が上がったり、地位が上がったりというような、目に見える評価が得にくいものです。また、家庭に入り、会社という社会との接点がなくなることは、男女問わず不安に感じるものです。男性なら特に、今まで社会とのつながりが必須であるという価値観を当たり前だとされてきただけに、それがない人生を送るということを、女性よりも強く不安に思っても仕方ありません。
『マイ・インターン』でも、会社でバリバリ働くジュールズの夫・マットは、自分のキャリアを捨てて専業主夫になりました。女性だって、キャリアを捨てて家に入ったら、最初は主婦に希望を見出していても、そのうちバリバリ働くパートナーを見て、焦ったりうらやましがったりもすることもあるものです。この映画では、男性が専業主夫になり、夫婦お互いにポジティブに受け止めようとしても、ほころびは出てくるし、ママ友コミュニティからの戸惑った目線に耐えられず夫の気持ちが揺れてしまうことも描かれていました。
老いて社会との接点をなくし、ゼロに戻って下から接点を見つけていくベンと、家庭に入ることで会社との接点をなくし、いまだ旧来型の価値観の強いママ友コミュニティに入っていくマット、ふたりはこれまでに考えられていた「男らしさ」に縛られていたのでは、どうにもならないキャラクターであるということで共通しているのです。
今までの常識とは反対の価値観に飛び込むというのは、ものすごく勇気がいるし、ストレスも感じるものです。それだけに、この映画で、今までと違う役割に向かう三人、ジュールズ、ベン、マットは、ときには危なっかしくもあるけれど、頼もしく勇気のある人に見えてしまうのです。