【厚木ネグレクト死事件】死んだ息子を見るのが怖くて7年放置し続けた

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 当時5歳だったが理玖くんはオムツをつけていた(水道が止まっていたためトイレは使えない状況だったのだから当然かもしれない)。そのオムツを理玖くんが自分で取り替えることも出来ないため、被告は帰宅時に取り替えていたという。しかし死亡直前の理玖くんの排泄状況を問われても「ほぼ毎日ですね、オムツ替えてました。ウンチの様子ははっきりとは見てないです。余程のことがない限り、見てないんで、分からないんですけど、柔らかいときはあったと思う。もともと(ウンチは)柔らかめだった」と話す被告。オムツの中身をチェックすることがあまりなかったのは、常に部屋の中が暗くて「見えなかった」せいもあるのだろうか。このときに齋藤家のトイレ状況も問われていたが、ライフラインが止まっているため「小はペットボトルに、大便もおそらく、記憶の中ではビニール袋に入れてやっていたような記憶ですね。それはゴミと一緒に捨てていました」とのことであった。毎月、生活に充分なだけの給料を得ていたのだから、公共料金を支払ってライフラインを復旧させれば良かったはずだ。だが被告は、その状況に順応するかのように生活し続けてきたという。

弁護人「仕事が終わって、帰ってきたら理玖くんが死んでいたんですね。その後はどうしました?」
齋藤被告「しばらくずっと部屋に何時間かいました」
弁護人「遺体に何か?」
齋藤被告「毛布をかぶせました。やっぱり寒い時期だと思ったので、毛布をかぶせてあげました。理玖が死んだ後は車の中か、実家かラブホで暮らしていました」
弁護人「そのあとも家賃は払い続けていたんですね。どうして?」
齋藤被告「やっぱり遺体……発見されるの怖くて」
弁護人「会社からも家族手当をもらい続けていたんですね。どうして?」
齋藤被告「遺体発見を、あれですね……」

 ライフラインは復旧させなかったが、家賃は理玖くん生前も死後も、逮捕までしっかり払い続けていたという。また、死亡直前まで異変をさほど感じなかったかのような供述の多い齋藤被告だが、以下のやり取りからは、理玖くんはひょっとしてかなり衰弱していたのではと推測できる。つまり“突然”亡くなったのではなく、栄養状態や衛生面含む生活環境の悪さから徐々に衰弱して死に至ったのではないか、ということだ。

質問者は検察官に代わった。

検察官「どのような様子から理玖くんが死んだと分かったんですか?」
齋藤被告「……触った感じ、まったく動かなくて、固まっていたような感じがしたからです」
検察官「そのときの姿勢は?」
齋藤被告「ちょっと覚えてないですね……肩の辺りを触ったと思います」
検察官「それまでは肩を触れば反応していた?」
齋藤被告「そうですね」
検察官「どんな風に?」
齋藤被告「ん~、こっちの方を見る、姿勢を変える、という感じですね」

 死亡直前は、むしろ肩を触らなければ反応を示さなかったのではないだろうか?

検察官「病院に連れて行こうとは?」
齋藤被告「やっぱり怖くなっちゃって、そのままにしてしまいました」
検察官「まだ死んでないかも、とは思わなかったんですか?」
齋藤被告「そこまでは……思ってなかったですね」
検察官「毛布をかぶせたと言っていましたが、それ以外は、抱き起こしたりはしなかったんですか?」
齋藤被告「抱き起こすまではいかなかったかもしれませんが、多少は動かしたと思います」
検察官「理玖くんが亡くなっているのを見つけた後は一度もアパートには入ってないんですか?」
齋藤被告「一度は供養のために入りました。約1週間の間に、一応、弔いの形として、パンと飲み物を買って、持って行きました」
検察官「置いてきたんですか? どこに?」
齋藤被告「おそらく、玄関付近ではないかと思います」
検察官「そのとき、遺体をもう一度見ることはしなかったんですか?」
齋藤被告「いや、しなかったですね。やっぱり怖かったです」
検察官「その後アパートに入ったことは?」
齋藤被告「ないと思います」

 このとき齋藤被告は玄関口にコンビニで買ってきたパンと飲み物を置いたという。部屋から発見されたゴミのうち、いちばん消費期限が新しいものがこのときの食品となる。理玖くんの死亡時期は、このパンの消費期限から、2007年1月中旬ごろと認定されている。
(高橋ユキ)

次回につづく

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