女性が抱える「アイドル消費」の罪悪感に、ひとつのアンサー。傑作『マジック・マイクXXL』

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女性だって男性の美しさを称賛したっていい

『無印』で、どのように男のアイデンティティ問題を描いているかというと、マイクはストリッパーをやっていることを、自分の本位ではないと思っている様子がたびたび描写されています。だからこそ、ストリッパーを辞めて家具ビジネスをやろうと銀行に融資の話をしに行く。しかしマイクは、融資を断られてしまいます。ダンスをしている最中に女性客が自分の下着にはさみこむ1ドル札を何枚貯めようとも、銀行からは信用とはみなされないからです。この後のシーンで、くしゃくしゃになったお札をテーブルの角で一枚一枚鞣し、それを重ね、重しをおいて平らな元の1ドル札にしようとするシーンは、ストリッパーという職業に向けられた世間の目線を浮彫にしていました。

『無印』は、「男にとって信用とは、仕事とは何か」ということを感じさせる作品になっています。それは、ひそかに思いを寄せていたブルックと心が通じ合うとき、マイクはストリッパーを辞めている、ということでもこのテーマを明らかにしていると思うのです。

一方『XXL』では、「男にとって信用とは、仕事とは何か」ということを意識しながらも、自分がその魅力に取りつかれてしまったストリップの世界にも、なんらかのアイデンティティがあるのではないかということが描かれます。彼らはそんな『青春』をもう一度味わいたいのかもしれません。それと同時に、ストリップを見に来る女性たちにも焦点をあてているのです。

この点において、ショウビズの世界を応援している観客であるアイドルオタクの女性たちにも、ぐっとくる作品になっていると思います。そしてとにかく、女性たちの描かれ方が優しい……。この映画には、ブスもババアもいません。いるのは、みな同じ女性なのです。女性が男性の美しさにうっとりとすることは、何も恥ずかしい事ではなく、男性にバカにされることでもないことがきちんと描かれています。

こうした、女性にとっての「都合の良さ」ばかりがフィーチャーされると、「お花畑」と揶揄されそうですが、この映画を見ている間だけは、それは「お花畑」ではなく、普通にあって当然のことではないか? 男性が女性の美しさ(そこにはエロチシズムも含まれます)を称賛し、称賛された女性がそれを自然に受け止める世界が許されているのに、なぜ同じことが逆の立場では実現しないのだろう。この映画でそんな逆転した立場が実現されただけで、後ろめたくならなくてはいけないのだろう? という非対称さを感じずにはいられないのです。

もちろん、女性のための「おとぎ話」は現代にもたくさんあります。例えば、漫画原作のラブコメディなどは、女の子にとって都合の良い世界です。ただし、夢物語にうっとりできるのは、選ばれしヒロインとそこに自己投影できる女性だけ。それ以外の登場人物はライバルになる。しかも、ヒロインとはいえ、ツンデレな王子に支配されたり、王子にとっての一番になるために、「過剰適応」したりしないといけないもののほうが多いでしょう。

ところが、『XXL』では、そんな必要はありません。この映画に出てくる女性は、誰もが「クイーン」で、ストリッパーたちは「キング」。観客とパフォーマーが対等だからこそ、見終わった後もずっと気持ちの良い映画になっているのです。

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