愛を信じる男女はもがく。愛を信奉しない女はどうか 『(500)日のサマー』

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「世の中には『月9』や少女漫画原作の映画もたくさんあるではないか! 女性たちは、まだまだ恋愛を信じている!」と思われるかもしれません。でもそれらを昨今見ていて私が感じるのは、もはや「あんな恋愛があったらいいな」と彼女たちが願っているというよりは、「イケメンが壁ドンをしている」といった記号的なものを見ることでキャーって言いたいから、つまり女子の願望を視覚的に実現しているものを楽しみたいという欲望に答える形で作られているのだと思います。

そして、逆に感じるのが、男子のロマンチックラブ・イデオロギー信奉です。『(500)日のサマー』で恋愛を信じているのはサマーよりもトムです。また、この映画へのオマージュもこめられていると言われている映画版『モテキ』や、似たテーマを扱っている『ボーイズ・オン・ザ・ラン』でも、男性は自分の純粋さが勝利をするはずと信じていて、だからこそ、カッコ悪くても恋愛に向かって走ってしまうのではないかと思うのです。そして、恋愛を信じているからこそ、その相手に期待しすぎてしまい、思ったようにふるまわないと、ビッチと罵ってしまう。ただ、『モテキ』や、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』という、ふたつの映画のヒロインは、『(500)日』のヒロインのサマーと違って、恋愛とは何もかも受け入れてくれることと、過度に期待している部分がある。だかからこそ、お互いにせつなさや痛さがあるように思います。

サマーのように、ロマンチックラブ・イデオロギーを信じていない女子が男子を振り回したり、ビッチと言われるような行動をとるのは、「私は所有物ではない」という考え方によるもので、自由でいさせてほしいだけで他意はありません。でも、ロマンチックラブ・イデオロギー……と言うよりも、自分のすべて受け入れてくれる存在が恋愛相手であると信じている女子が男子を振り回したり、ビッチな行動に走る場合は、他に好きな人がいるのだけれど、その相手にかまってもらえないときに寂しさを埋めてほしいという気持ちからであったり、単に誰かにかまってほしいと言う部分ありきでの「翻弄」だから、彼女自身にとっても痛く、時には泥仕合になってしまうものです。

サマーは結局、運命を信じることになりますが、そこには、ただそうなっただけという偶然的な運命と描かれていたように思います。そして、その違いが、『(500)日』を見た後のすがすがしさと、『モテキ』や、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』を見た後のモヤっとした気分に表れていると思います。もちろん、モヤっとした気分もそれはそれで後を引くし、現実にはこっちのエピソードのほうが、リアリティがあるのかもとも思えたりもします。

これらの映画(とドラマ)はすべて2010年前後に公開されています。当時はこうした「男子のアイデンティティを恋愛(童貞喪失)に置いた物語が見たい」という気分が世間にあったのだと思います。近年は、あまりこうしたタイプの恋愛ものを見なくなりましたが、果たして2015年以降は、どう変わっていくのでしょうか。そんな「現在の男子」や「現代の恋愛」を感じさせる映画があったら、また取り上げていきたいと思います。

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