連載

父の世界からの解放~「フェミニスト的ユートピア」を描いた『バベットの晩餐会』

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晩餐会の意味とは

 姉妹とコミュニティの抑圧を解放するバベットの力がクライマックスを迎えるのが、宝くじで手に入れた1万フランを使って開く最後の晩餐会です。姉妹はバベットが買ってきたウミガメなどの珍しい食材に驚き、料理が何か罪深い快楽をもたらすのではないかと思って集会を開きます。そこで信徒の男性が「晩餐会では味覚がないみたいにふるまおう」と提案し、感覚の快楽を絶つことを提案して皆からの賛同を得ます。生前の牧師の振る舞いからも分かるように、こうした感覚の歓びを罪深いものとする考え方はプロテスタントの厳格な宗派に見られるもので、マーチーネが料理について地獄の業火のような悪夢を見たり、信徒たちが料理に対する不安で騒いだりするところでは、善良だが了見の狭い篤信な人々がコミカルにやんわりと諷刺されています。

 ところが、晩餐が始まるとそういった感覚的快楽への抵抗は消し飛んでしまいます。最初は控え目だったお客たちですが、だんだん嬉しそうにワインや料理を頬張るようになります。パリに行ったことのあるレーヴェンイエルム将軍以外、料理を褒める台詞は皆あまり口にしませんが、それでも表情ひとつでどれだけお客が料理に惹かれているかわかるのが映像描写の強みです。信徒の集まりではとげとげしく言い争いをしていた人々が、バベットの料理の前で互いに優しく、幸せを分け合う人々に変身します。

 いつもの諍いを忘れて微笑む信徒たちの様子は、堅苦しい教義よりもバベットの料理のほうが人々の心を癒やし、高めるということを示しています。最後にフィリパはバベットに対して、あなたは素晴らしい芸術家なのだから天国で天使も喜ばせることができるだろうと言います。フィリパがバベットを抱きしめて褒め称えるこの場面は、形にこだわり感覚的快楽を拒否する教条的な信仰よりも、人生の歓びを分け合うことこそが天国にふさわしいということをさりげなく表しています。この場面においては女性であり芸術家であるバベットのほうが、姉妹の父であった牧師よりもより天に近い存在として描かれ、父の支配よりも女性同士の連帯が世界に幸福と平和をもたらすものとして示されます。

 この女性の才能と連帯が花開く世界には、決して男性の存在がないわけではありません。父の支配が打ち消されたかわりに、食卓には年老いてもなおマーチーネを愛しているかつての崇拝者レーヴェンイエルム将軍がいます。カフェ・アングレの料理を食べた経験がある将軍はバベットの料理を高く評価し、この晩餐会によって「この美しい世界ではすべてが可能だ」と思った、とマーチーネに告げます。ここに一瞬だけ、男女が互いの才能を正当に評価し合い、皆が対等に友として愛し合うことができる美しい世界のヴィジョンが立ち上がります。

 原作を分析したアメリカの研究者サラ・ウェブスター・グドウィンは、このラストは「フェミニスト的ユートピア」の試みであると形容しています(Sarah Webster Goodwin, ‘Knowing Better: Feminism and Utopian Discourse in Pride and Prejudice, Villette, and “Babette’s Feast’”, Feminism, Utopia, and Narrative, edited by Libby Falk Jones and Sarah Webster Goodwin, University of Tennessee Press, 1990, 1-20)。これは原作についての発言ですが、映画『バベットの晩餐』は、美味しそうな料理とそれを囲む人々の姿、そして女性たちの微笑みと涙を映像に刻むことで、フェミニスト的なユートピアを見せてくれる作品だと言ってよいでしょう。

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