男らしさとミソジニーはセットなのか? 『ベテラン』の正義漢・ドチョル刑事と悪役のテオから考える

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ちなみに、女刑事ミス・ボンの繰り出す華麗なキックはこの映画のひとつのポイントとなっています。「ジャンプキックでかっこよくしめる」(リュ・スンワン監督が実際に語っていた)ことが多いアクション映画だからこそ、女性であるミス・ボンのキックが意外性のあるアクションシーンに一役買っているというのがひとつ。それだけでなく、男だらけのチームの中で紅一点であるミス・ボンが、チームの一員として対等に描かれているとも見ることができます。紅一点でなくとも、主役以外の登場人物に花を持たせることが作品のスパイスになることはありますし、そこに自然に女性が使われることは、ミス・ボンが何らかのジェンダーを押し付けられているわけではないという風にも見えます。

編集Kの視点は、「男らしさに縛られている熱血刑事のドチョルは、同時にミソジニーも持っているはず」という考えから生まれたものなのかもしれません。つまり「ドチョルのように男らしさに縛られているならば、妻やミス・ボンにも男のサポート役を求めるだろう」と考えていたのではないでしょうか。だからこそ、ドチョルにミソジニーが感じられないことに驚いたのではないかと思います。でも『ベテラン』に限らず、他の映画やドラマでも、このような男性や男女の関係性の描写はたびたび見られるもので(もちろん、それはフィクションだからということもあるのでしょうけれども)普段から韓国映画を見る私には新鮮な視点でした。

「男らしさ」に縛られるふたりの相違点

『ベテラン』では、ドチョルとは別の男性像も描かれています。悪役である財閥の御曹司チョ・テオは、財閥の会長である父親の後妻の息子で、会長の亡くなった弟の息子(つまりテオの従兄弟)と共に行動しています。ジンジン財閥一族の中では主流ではない。それなのに(いやだからこそ?)、彼らは血や家父長制に縛られていて、そのことでギスギスしている。なぜならば、家というものが彼らに経済的余裕を与えるし、それを手放したくないからでもあうでしょう。しかも、チョ・テオは女優やモデルをはべらせているだけで、人とも思っていない。食事の席で女性の顔に食べ物を押し付けるシーンでは、はっきりと、ミソジニーも感じられます。

この映画の中で、血や男らしさに縛られ、ミソジニーを持つテオは悪です。でも、同じように男らしさに縛られているのに、ミソジニーを見せない刑事ドチョルも描かれている。これは、ドチョルが男も女も関係なく、悪いもの以外の人間であれば誰でも愛せる人である一方で(テオに対して何度も「罪だけは犯すなよ」と警告しています)、テオが、男も女も関係なく、自分以外の人間を人とは思っていないからではないからでしょう。

そういう意味では、ジェンダーに関係ない映画にも思えます。本来はドチョルのように、人を信じるときにも憎むときにも「男も女も関係ない」ということこそが、女性が一番求めているものだったりするという意味では、直接的にはジェンダーの話を描いてはいないけれど、ジェンダーに繋げることのできる映画なのかも、と思うのです。

最後に。テオは悪役に徹してくれたのがよかった。もしも、悪役をやれるのが嬉しいという自己満足だけで、正義と悪が曖昧な中途半端な演技であったら、こんなにユ・アインが評価されることもなかったでしょう。

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