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仮面を脱がない男、わかってほしい女。隣人たちの群像劇『ハッピーアワー』をどう見るか

【この記事のキーワード】

 基本的には長回しを多用する会話劇。「重心ってなんだろう」というテーマで身体を動かすワークショップや女性作家の朗読会も、端折らずに丸々映すことで、映画の観客は同時にそれらイベントの参加者となっており、いつのまにか劇中に入り込んでいるかのような浮遊感を味わうだろう。5時間17分という規格外の長尺(上映は二度の休憩を挟む)だが、この長さでなければ、描ききることができなかったはずだ。ゆっくり変わりながら進む人間たちを描くのには、317分が適切だった。

 この映画は、現実に女性たちが遭遇しそうなありとあらゆるアクシデントに満ちていて、見終わった後、誰かに話したくなる作品である。そこで、映画『ハッピーアワー』を上映する関西の劇場支配人4名(男2:女2)と濱口竜介監督で、男とは/女とは/その関係性/恋愛における行き違いなど、作品を題材にしつつ、誰にでも興味を持ってもらいやすい男女の関係や相違点を男・女双方の視点から話し合う座談会を開催。この映画が訴えかけていたものを語り合った。見えてくるのは結局、男と女のすれ違い。

「女は何も言わなかったくせに『わかってくれない』と突然怒り出す」
「男は社会的な仮面をかぶる。女と向き合おうとしない」

 横たわっているのは普遍的なテーマだった。

【座談会参加者】
濱口竜介監督(37)=
松村厚/第七藝術劇場支配人(53)=
田中誠一/立誠シネマ支配人(38)=
吉田由利香/京都みなみ会館館長(27)=
林未来/元町映画館支配人(41)=

君は映画『ゴースト』を知っているか

 僕は男ですが、『ハッピーアワー』に出てくる男たちって、なにこいつ? みんな死刑でしょって思うよね。

 そう! 私もみんなクソだと思ったけど、うちのスタッフの男子たちは、全然そんなふうに思っていなくって、「男は被害者で、あれは女の勝手やろ」って言っていた。 

 私は女だけど、元町男子スタッフの人とまったく一緒の感想。

 逆に、田中さんは男性だけどスピリットが女子寄りですよね。

 違うんですよ。僕は、こないだ言ったかどうかわからないけど、現代の女子ではなくて「昭和の女」なんですよ。

 どう違うんですか? 昭和と今と。

 昭和の女はウェットなんですよ。メンタルが。メランコリックなんですよ。で、ペシミスティックで、メランコリックでロマンチックなんですよ、わかります?

 わからん、日本語で言って下さい。

 もっと分かりやすく言うと、これはあくまで自分の中だけですけど、形成されている女性的な部分というのは、やっぱり昭和の歌謡曲で育まれているものなんですよ。テレサ・テンとかね。ちあきなおみとかね。ていう部分がね。

 それはウェッティですね(笑)

 うん。だから、そこはもう根本的にウェッティなんですよ。僕の中にいる女子っていうのは。やっぱり昭和の映画の中で描かれてきた女っていうのもあるわけじゃないですか。だから、そこがやっぱり僕の中でベースになっていて、山田五十鈴のような女になりたいとか、高校時代に思っていた事もあったわけですよ。憧れです。要は、そこで形成されている女性性っていうのは、結局男が作ったものなんですよ。昭和の女の像、つまり僕の中で築き上げられている女性像っていうのは、実は男が作っているものなんですよ。

 男が理想として作り出している女性像ってことですか?

 理想っていうか、女のさだめとか業とかいう物語を男が作っているんですよ。それはやっぱり「女性」じゃないんですよ。だから、その僕が自分のことを「女」って言ってるのは、しょせん言い張ってるだけなんですよね。

 そんな自己分析……。

 いや、相当考えましたよ。今回の座談会に向けて、いや、でもこれはライフワークですよ。

写真左から、田中/吉田/林/濱口監督/松村

写真左から、田中/吉田/林/濱口監督/松村

 自分が「昭和の女」マインドっていうことを踏まえた上で改めて『ハッピーアワー』を観たら、田中さんはここに出てくる男どもは許せない?

 ここに出てくる男っていうのは、男のあかんとこしか出てきてないでしょ。

 私もそう思います!

 あかんとこしか出てきてないですよね。だから吉田さんは、そう思わないっていうのはどういうことなのかなと思って。

 だって男の人って基本、女性の気持ちなんて分かってくれる存在じゃないじゃないですか。

松&濱 割り切ってるね……。

 吉田さんはきっと、孤独を引き受けられる人なんですよ。

 いや、それは違ってて、私は孤独でいたくないから、男の人にきちんと分かってもらいたいし、知ってもらいたいし、ちゃんと話しますよ。言わないと気付いてもらえないから。でも、それを『ハッピーアワー』の登場人物である4人の女性たちはしてないわけじゃないですか。そんなんで「男は分かってくれない」って思ってるのが、ダメ。

 うちの男子スタッフと同じこと言ってる(笑)!

 逆に、分かり合うための確認作業自体、今の男女は嫌がるでしょ?

 確認するって何を?

 うん、僕が最初にそれを意識したのは、映画『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)を見たときです。ものすごく日本でヒットしたんですけど、あれは、うまいこと「愛の確認の仕方」っていうのを、日本人に教えた映画なんですよ。

一同 ……どういうことですか?

 えーー! みなさん覚えてないんですか!? 僕、これは革命だ! って思いましたよ!! どういうことかっていうと、デミ・ムーアとパトリック・スウェイジが、めっちゃイチャイチャしてるじゃないですか。

 ああ、陶器一緒に作ったりね。ぐにゃぐにゃ~って。

 そうそう。その二人の、愛の確認の仕方です。デミ・ムーアは「I love you」って言うんですよ。だけど、パトリック・スウェイジは、「Ditto」って言う。「Ditto」って英語で「同じく」っていう意味なんですけど。それって契約書とかで使うような固い意味の「同じく」っていうニュアンス。それのやり取りが映画の中にパラパラ出てくる。男の方は「愛してる」ってちゃんと言わないんですよ。で、「愛してる」って彼女に言われたら、「俺もだよ」ってちょっとこうビジネスライクに言うっていうのを、愛の確認の仕方にしてる二人のカップル……っていう、設定の映画なんですよ。これは……日本人男性たちはね、「俺もやろう……!」って思ったわけですよコレ!

 そうなんや……。

 それでヒットしたんだと僕は思いますよ、この映画は。

 え、『ゴースト』以前は、「好き」って言われたらどう返してたんですかね男性は。

 それまでだったら普通に、ヨーロッパ映画とか西洋のものって、男もちゃんと「I love you」って言うでしょ。それは、日本人の男はマネできなかったわけですよ。いわゆる昭和の観点からしたら。そこに、うまいこと返すモデルケースがでてきたから、ちょっとこれはマネできるなと。で、女の人の方も、アメリカからやってきた美男美女のカップルのそういうやりとりって、「これやったら、私たちにもフィットするかも……!」って思うじゃないですか。それでヒットしたんですよ。

 こんな分析してるとは……(笑)。

 ほんで最後は、パトリック・スウェイジが、デミ・ムーアに言うんですよ。ついに、別れる時、最後にね。それがいいんですよっ! ていう映画なんですよ。「I love you」って、最後にゴーストになった男が言うんですよ。で、女が「Ditto」って返すんです。

 なんかいい映画じゃないですか。

 いい映画なんですよ! 僕5回くらい見ましたよ! でも、この『ハッピーアワー』に関して言うと、その逆転は一切ないわけなんですよ。それはいかんやろう! っていう。

 そうか、この作品の場合は、女性が「好きです」って言っているのに、男性が「同じく」って言ってない……。

 純が離婚したがっている旦那・公平さんにしたって、「僕は純を愛しています」って言っているけど、それは純がいなくなってから言っているわけでしょ。それでもし、再会したら、「僕は君のことを愛しているんだよ」って説明するみたいに言うんだろうけど……。

男は「女はズルい」と思っている

 でもそんなん、この映画みたら、男女お互い様やろ。俺はお互い様にしか見えない。男と女っていうのは、お互い様なんじゃないの?

 お互い様なところはもちろんある。コミュニケーション不全みたいなところがね。ちゃんと説明せずに、ため込むところが女はいかんと。

 だって、男の側からしたら、女の方が絶対ズルいって思ってるもん。

 なにが?

 いや、いろんなことが。だって絶対男より女の方が勝つんだもん。

 なんで?

 何において勝つんですか?

 関係において。

 何で? たとえば?

 男性の方が折れるということ?

 絶対男が負けると思う。

 「勝つ」と「負ける」の意味が分からない。

 「負ける」はどういうことなんですか? 相手の要求を飲むってこと?

 いや、たとえば、『ハッピーアワー』の男女を反転させて男4人の友情ものとして描いたとして、それぞれに嫁や元妻や恋人がいてっていう設定にしたら成立しない。男は、そういう意味では、主役になれない……。

 それが負けなの?

 それが負けだと思う。だから、ズルいんですよ。絶対なれないから、主役に。

 いまいちピンとこないなあ……

 そうですね、男だけどピンとこない。

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