吉 恋人の前で感情を出す時、たとえば泣くとか、そういう時に「何で自分が今泣いてるか」その理由を林さんは彼氏に言いますか?
林 もし私が泣いてたとしたら、彼氏が「何で泣いてるの?」って聞いてきますよね。
濱 聞くよね。「どうしたん?」って。
田 僕は、そこで「どうしたん?」って聞くのは“中”だと思うんですよ。“上中下”のね。僕は、“上”を目指したいんですよ!
林 (笑)。“上”だとどうなるんですか?
田 「どうしたん?」って聞くのは、説明させちゃうわけじゃないですか、相手に。だから僕は、それは本当にどうしても分からなかったら聞くんですけど、でも、それを聞かなくてもどうして泣いているのかを分かった上で、ちょっとでも彼女が軽くなれるような言葉をかけたいんですよ。けど、わかんないんですよね、コレがね!
林 じゃあ、初めから“上”目指すのはやめて、“中”から始めたらいいじゃないですか! 初心者がオリンピック目指すようなもんですよ、まずは部活入りましょうよ(笑)。
濱 「どうしたん?」からはじめましょうよ。
林 で、「何で自分が今泣いてるか」その理由を私が彼氏に言うかどうかですけど、確固たる理由があって泣くことが私はないんですよ。普段泣かないから、確固たる理由がここにあって……という泣き方にならない。泣いてる時はなんか、よく分からないんです。
濱 決壊を0.1mlポンと超えて……?
林 なんだろう、あんまり泣かないから分からないんですけど……本当に理由はない。
吉 あえて、自分から泣きに行くことってないですか?
田 パフォーマンスってことですか?
吉 いや、違って、一人の時に、むっちゃむしゃくしゃする!! 泣いたろ! みたいな。自分のことを考えるのがもうイヤになるほどむしゃくしゃしてる時って、泣くとすごくすっきりするんですよ。早くすっきりしたいから泣く。あと、ひたすら寝るとか。
濱 てか、そんな自由自在に泣けなくないですか?
林 うん、泣けない。
田 僕も泣けないんですよ。泣きたいと思って泣けるのは健全なんじゃないですか? だって、それってヤケ酒飲むのと一緒ってことでしょ? ちょっと羽目外したいみたいな。
吉 林さんは、感情のタガを外したい時、どうするんですか?
濱 つらい時とか。まあ、でもそんな簡単には外せないですよね。
林 つらいことがある時は、問題解決に努力します。
吉 でも、解決に向かう前に、くっそ腹立つ感情を、一回パーン! と外すと冷静になれませんか。
濱 林さん、それは年齢関係なく? 41歳の今だからじゃなく、昔から泣かない?
林 そう、昔からそうなんですよね。なんか人に構われるのが好きじゃなくて。たとえば小学生の時とか、休み時間に外で遊んでいて転んだりすると血が出て、「大丈夫?」ってみんながわ~って寄って来るでしょう。泣いてると人が構ってくるじゃないですか。なんかそれが好きじゃなくて、泣かなくなったんだと思うんですけど。
松 可愛くない子やねえ。
一同 (笑)
林 だから、それが唯一泣ける場所なんですよ、恋人の前が。そこだけがタガを外せる場所なんだと思う。でもまあ、そんなしょっちゅう泣いているわけじゃないんだけど。泣くときは無駄に意味なく泣きますね。で、とりあえず泣いてたら、ヨシヨシくらいしてもらえれば、後はすっきりするんですよ。
吉 私は、恋人の前で泣く方がいやですね。一人で泣くより。
濱 何でですか?
吉 泣くときは最終の場なんですよ。いや、最終の場でも泣かないかな……。
林 松村さんはいつ泣くんですか?
松 いや~、俺もあんまり。つらい時は映画観に行くなあ。サラリーマン時代は、営業成績上がらんでいじめられたりしてた時は、よく有楽町のマリオンに映画観に行った。マリオンとかシャンテとか。今でも覚えてるわ。もう辛くて会社に帰りたくない~って思った時に、営業の合間を抜けて、あの頃ポケベルやから、次の定時連絡までやったら、映画観れるわっていって、『黄金の馬車』観て、はぁああ~!! ってなってた。生きててよかった~!って、単純にハッピーになって帰って行ったわ。
田 吉田さんは、感情発散のために意図的に泣いてるじゃないですか。でも、自分が意図してないところで泣くことってあるんですか?
吉 それはありますね。
松 突然あふれる涙。
田 そっちの方が興味深いんですけど。そういうのって、自分でもわけが分からずに泣くんですよね。
吉 私の場合は、悲しくて泣くよりも、嬉しくて無意識に泣く方が多くて、何か気づいたら涙がスーって流れて号泣してるみたいな。相手の愛情を深く感じた時とか、そういう時にすごく泣けてくることが、多いんですよね。悲しい時は「泣くぞ~!」と意識して泣いてますね。
田 吉田さんが意図せずに泣いてるところ、ちょっと見てみたいですよね。感情が揺れ動いて、わけわからず泣いてるところ。何かしら、人が自分でも意図してない時に出る涙っていうのは、魅力的なんだろうなあって。で、それに、男っていうのは騙されちゃうんですよ! 要はね、男って涙に弱いわけですよ。それを、恋愛に結び付けちゃうのが男なんですよ。女の人は絶対そんなことないと思うけど。
濱 ああ、俺の前で泣いてくれた。みたいな? まあ、ありますよね……。
林 泣かれたら好きになるってことですか?
田 そりゃあ心は動きますよ!
吉 へえ~。でも、逆に「泣くなよ」って言う男の人もすごい増えてるじゃないですか。
田 ああ~そうなんだよなあ……でも、僕はそれちょっと分からないです、そういう人。完全にそれはニューエイジですよ。
吉 女性に対して、「泣いたら落ちると思ってるのかよ、みくびるなよ」と思ってる男性もいるわけじゃないですか。
林 泣かれたら困る、とはよく聞くけどね、男の人からは。
田 「泣かれても、今きみのその涙と僕は関係ないから」って言えちゃう人いるんですよね。困るからって。
吉 私の友人にも、別れ話をして、もし元彼女がめちゃくちゃ泣いたとしても、まったく心動じない男性がいますよ。
林 ああ~私も、あんまり人の涙は何とも思わないですね。困ることもないし、ぐっとくることもない。まあ、彼氏が泣いてたら……可愛いかな。不細工でもなんでもいいんですよ。私にとっては愛玩の対象なので。愛玩したいし、愛玩されたい(笑)。
吉 へえ~、愛玩! そういえば、泣いてましたっけ? 映画の中の4人は。
濱 ほとんど泣いてないですね。ワンシーンだけ、それも目薬ですし(笑)。
田 『ハッピーアワー』で思ったのは、何か直接的なドラマチック・パフォーマンスが無いじゃないですか。よく言われる「ドラマチック」って、水に濡れるとか、走りだすとか、普通にドラマの手法として作り手が考えてきたものだと思うけど、この映画の中にそうしたものは、あかりがライブハウスで踊るシーンくらいしかないんですよ。たとえば「泣く」もドラマチックな効果のひとつだと思いますけど、この映画ではみんな泣かないで表現しているからすごい。濱口さんが監督として、ドラマチックな要素をあえて排除した意図って何ですか?
濱 脚本を書いた時点で、演者の人が怖気づきそうなものを排除していて。結構消極的ですけど。ドラマチックな手法がそこまで効果を持つこともないだろうと思っていますし。結局、ここまで話してきたように、普段、たとえば「泣く」ことってみなさんあまりしないわけじゃないですか。だから脚本に「泣く」って書くと、普段と違う身体の状態に持っていかないといけなくなる。でもベテランの役者なわけじゃないので、彼らは演技用に泣くメソッドを知りません。もしやるとしたら、追い詰めて泣かせるしかないんですよ。で、それをやってしまうと、繰り返せない。NGテイクだった時に、じゃあもう一回泣かせることができるのかっていうと、できない。しかも、追い詰めて泣かせるやり方をしてしまうと、演出家と演者の信頼関係を保てなくなってしまう恐れもあるわけで。
田 濱口さんは、出演している人たちのことを、変な話じゃなくて、ガチで愛していますよね。まず脚本を作る過程で、映画の中で生きる人たちの本当に困難な状態を物語として描いたけど、それが、彼らにとって生きられるギリギリなのかどうか、ものすごく考えてるわけですよね。その物語が、こういう形で映画として成立してるのを観たら、なんか愛を見せられてる感じがすごくして……。
松&吉&林 どういうこと?
田 男だろうが、女だろうが、恋愛ってものを考えた時に、誰かと関係することって、「具体的にアプローチすること」なんですよ。それを濱口監督はこの映画でやっている。たとえば、プライベートで、恋人だったり結婚したりしている相手との関係をどうするのかって、個々に違うじゃないですか。それはそれぞれが、それぞれの相手との関係をどう作るのかお互いに考えていくしかない。絶対に正解がない。映画の中で、登場人物一人ひとりのそうした関係性構築を、「描いてる」というよりも「やってる」映画なんだと思うんです。
吉 ああ、だから、この映画を観ることは、自分は大切な相手との関係、どうだろう……って省みる、いい機会になりますよね。
田 ともすれば、離婚や不倫という題材を選ぶことは、下品になってしまいますよね。品性の問題。でも、この映画は絶対下品にならなくて、それは、さっき言ってもらったように、作品内に登場する「この人」が、「このシチュエーション」の中で、「どう生きるのか」を、作家がすごく丁寧に考えているからなんだと思います。そこが、この映画の中ですごく大事で、「この人たち」が、一人ひとりでその人であるっていうことを描いているということです。そして、人生においては、不幸だったりうまくいかないことが基本的にはずっとつながっていて、映画の中で「地獄です」というセリフがありますけど、生き地獄を感じることは、みんなあると思うんですよね。でも何で生きるのかっていうのは、答えがないわけで、みんな答えのない中で生きてる。その地獄でも「生きてる!」って良い風に感じられる瞬間があって、多分それが、タイトルの『ハッピーアワー』なんでしょうと僕は思うわけです。で、そういう人生を、われわれも生きてるし、僕自身も生きてるし、そういうハッピーアワーが、自分の人生の中にもあったし、今後もあるんだろうなって思ってます。