女の乳首の意味は、女が決める
しかし依然として世界のほとんどの地域では、公共の場で女性が上半身裸になることは禁止されています。こうした世間の乳首に対するタブー視は、「女性の乳首=性的対象」という観念の強さの表れでしょう。確かに、女性の乳首を見て興奮する人は多いです。乳首が性感帯の女性も多いでしょう。そういった意味では女性の乳首というのは、性的対象であると言えます。しかしそれは非常に一面的な見方です。女性にとっての乳首は、身体のパーツの一つであり、乳児に授乳する際にくわえさせるものであり、生理前に張るものであり、ときどきかゆくなるものであり、うつ伏せになると床に当たって痛いものであり……要するに生活の一部を構成するものでもあります。「女性の乳首=性的対象」という観念は女性のそうした他の人間的な部分を排除した見方に過ぎません。
なぜ「女性の乳首=性的対象」という観念が過剰に強くなってしまったのでしょうか。そもそもはジェンダーの格差が背景にあると考えられます。「女の乳首は性的対象で、男の乳首は性的対象ではない」という観念は男性的なものです。そうした観念が通念となっている状況はまだまだ社会が男性優位であることの表れでしょう。また、欧米や中東などの地域では、宗教の普及も女性の乳首や裸に対するタブー視につながったと考えられています。
循環論法になってしまいますが、「乳首は隠すべき」という観念そのものも、女性の乳首を「性的対象」にしているのではないでしょうか。元々、明治時代に欧米文化が導入される前の日本は、公共の場で女性が上半身裸になるのは日常的なことでした。むしろ、真面目な女性ほど家事をする際などは服が汚れないよう、上半身裸になって作業していたようです(※)。現在でも、ナミビアのヒンバ族など、女性が公共の場で上半身裸で過ごすことが当たり前の民族は存在します。そのような文化圏では、「女性の乳首=性的対象」という観念は強くありません。現在の日本や欧米などの文化圏の男性にとっては、女性の乳首は普段は隠されており、セックスなど非日常的なシーンでしか見る機会のないパーツとなっています。非日常的なものだからこそ、「いま乳首が見えている」ことに性的欲求を喚起されやすくなっているのではないでしょうか。
今年の1月に京都新聞の公式ツイッターが、「おっぱいは、赤ちゃんのものですよね」「それとも、おっぱいはお父さんのものなのでしょうか?」「ああ、結婚してなければおっぱいは彼氏のものですよね」という一連のツイートをし多くの批判を受けましたが、そういった女性の身体を「一個人の身体」ではなく「性的対象」「子どもを産み育てるためのもの」として捉えてしまう観念が女性の行動を制限させているように思えてなりません。人目を気にせず上裸で日光浴をする男性を見ると「自分の身体を自分の好きなように使っているなあ」と羨ましくなります。
私は女性に「乳首を隠すな」と言いたいわけでもなく、男性に「女性の乳首に興奮するな」と言いたいわけでもありません。ただ「女性の乳首は隠すべきもの」という強烈なタブー視が、女性の身体を過剰に「性的なもの」に近付けていると思いますし、女性が自身の乳首ひいては身体をどう表現していくかは、社会ではなくそれぞれの女性自身が決めるべきことだと考えています。
本当の自由や平等とは何なのか。一度、「社会通念」「常識」「普通」という枠を取り外し、改めて考えることが求められています。Free The Nipple運動、今後も注目していきたいところです。
(北原窓香)
※参考文献
鈴木理恵 『女性の貞節という問題 : 明治初期の日欧文化衝突』
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