2015年12月26日、衝撃のニュースが世間を走りました。お笑いコンビ・キングオブコメディの高橋健一が女子高校生の制服を盗んだとして逮捕されたのです。高橋容疑者は20年ほど前から制服の窃盗を繰り返していて、盗んだ制服の数は600点におよび、取り調べに対し「性的欲求を満たすためにやった」と容疑を認めています。
制服や下着を盗んだという事件はたびたび報道されてきましたが、なんとなくテレビの画面の奥の出来事のような気がしていました。加害者として報道される人物は、自分の周りにはいないタイプに思え、はるか遠くの存在に感じられたのです。しかし高橋容疑者のようなお笑い芸人として成功し、よくテレビで見かける人物が、このような事件を起こしたことに私は少なからず衝撃を受けました。
今回は窃盗事件ではありますが、事件の性質上、性加害といえる一面もあるかと思います。このような性加害に対するテレビのコメンテーターなどの意見を聞いていて毎回思うのですが、「加害者は異常」「人間として許せない」という意見で完結することが多くないでしょうか。もちろん、そのような意見はある意味正しいし、共感できます。犯罪を抑制するという意味で、加害者を叩くことはマスコミの重要な役割でしょう。強盗や詐欺のように金銭的利益を得られるわけではない性加害。そこに至るまでの加害者の動機はミステリアスで不気味です。「人間としておかしい」ということにして、社会から排除してしまいたくなる気持ちも分からなくもありません。しかし、そうした報道のあり方は不十分だとも思います。なぜ加害者はそのような事件を起こしてしまったのか、どうしたら防ぐことができたのかという切り口の意見が欠けているからです。
下着泥棒、痴漢、盗撮、レイプ……性加害は今日もどこかで起きています。「肌の露出が多い格好はしない」「人通りの少ない道は避ける」「夜道を歩かない」など、被害者にならないための対策は叫ばれてきましたが、限界がありますし、対症療法にすぎません。そもそもなぜ被害に遭う側が防犯を押し付けられなければいけないのでしょうか。もっと根本的な、加害者を作らないための議論が活発化されるべきだと思います。今回は、誰かが性加害者にならないための方法を精神医学、臨床心理学的視点から考えてみます。
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