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「伝統的家族」って何? 恨みと愛で混濁した祖父と母と私の関係

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祖父と母の確執

祖父は3人兄弟の次男として育った。祖父の父は農業をする傍ら、市議として政治活動もしていて、祖父の実家はいわゆる“地元の名家”だった。

戦前にありがちな、家父長制度を重んじる家庭だったので、祖父の兄は長男として、跡取りとして大事に育てられた。祖父の弟は、末っ子として、可愛がられていた。その一方、祖父はあまり愛されずに育ったようだ。

戦争が終わり、祖父は小学校の教師となったものの、結核を患い入院する。当時、結核は死に関わる病だったが、ちょうど入院中に新薬が開発されたことにより、一命を取りとめる。そして同じ結核で入院していた祖母と出会い、結婚した。

祖父と祖母の間には、2人の子どもが生まれた。第一子は男の子で、第二子は女の子。この女の子が私の母だ。

家父長制度を極端に重んじた家庭で育てられた祖父は、当たり前のように第一子の男の子を大切にし、第二子で女の子である母を軽視した。母の兄は跡取りとしてふさわしい人間になるよう、教育熱心に育てられたが、母にはそのような関心は払われなかった。祖父は結局、自分を愛してくれなかった家族の価値観を受け継いだのだ。祖父にとっては家父長制度というのは絶対的に正しいもので、自分が愛されなかったのは「家父長制度や親のせい」ではなく、「次男とはそういうものだ」と考え納得していたのかもしれない。

二児の父となった祖父は、仕事が終わり帰宅すると、ストレス解消のために大量にお酒を飲み、母を自分の前に正座させ、彼女の欠点などについて延々と説教することが習慣となっていた。そして母が小学高学年になると、性的虐待をするようになる。そういった心理的・性的虐待は、母が結婚して家を出るまで続いた。

母が結婚してしばらく経ったころ、不幸が訪れる。母の兄がガンで亡くなったのだ。33歳という若さだった。

それ以来、祖父は大きく変わった。子どもを失う痛みを知ったせいだろうか、母を大事にするようになった。仕事を定年退職していて、心に余裕ができたことも関係しているのかもしれない。

やがて私が生まれる。祖父は、私のことを本当に可愛がってくれた。弟が生まれても、不平等に扱ったりなんてしなかった。母は、祖父が私や弟を可愛がってくれていたのは、自分が母にしてしまったことへの罪滅ぼしだったのではないかと言う。

母は、祖父のことを許さなかったが、決して縁は切らなかった。私と弟から「おじいちゃん」を奪ってはいけない、と考えたからだ。

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